『絵馬』を勤めて
――天照大神の威光――
第84回粟谷能の会・故粟谷菊生三回忌追善能(平成20年10月12日・国立能楽堂)で『絵馬』女体を勤めました。
『絵馬』は寺社の縁起や神を扱った脇能と呼ばれるジャンルに入ります。
前場は落ち着いた雰囲気で老夫婦の絵馬の掛け馬の話、後場は古代の天の岩戸神話の繰り広げる雄大なスケールの明るい作品で、派手やかなショー的要素の強い神能です。
『絵馬』のシテは天照大神です。天照とは、天に照り輝く太陽、を意味し、一般的には太陽神の女神を想像するのではないでしょうか。
しかし喜多流の小書の付かない『絵馬』では天照大神が男体の神として扱われています。
小書が有る無しで、前場に変化はありませんが、後場は大幅に役柄が変わります。
小書無しでは、シテの面は「東江(とうごう)」または「三日月(みかづき)」を使用し、荒々しい男の神体をスピード感溢れる神舞で表現します。シテが男体であるため、二人のツレを天女として登場させ、珍しい神楽の相舞となります。
しかしこれを岩戸の前で神々が喜んだ天鈿女命(あまのうずめのみこと)の舞であると想像するには少々無理があり、また岩戸隠れ自体を表していると想像するにも難しく、良い演出とは言えないでしょう。
そのため流儀で普通の『絵馬』はあまり上演されていませんが、何故か父や叔父の辰三、最近では従兄弟の充雄と粟谷家の人が、この普通の『絵馬』を多く手がけているのは、なんとも不思議なことです。
昔、父が囃子科協議会にて普通の『絵馬』を勤めた時に「東江」の面をつけながら「どうしてこうなるのかな?」とこぼしていたこと、私もそばにいて「変だね」と相槌したことを思い出します。
今、私の知る限りでは、天照大神には女神説と男神説の両説があり、喜多流は男尊思想から男神説を取り入れた歴史があるようにも聞いていますが、確証がある訳ではありません。
シテ方五流を比較すると、観世流と金剛流は女神、宝生流と喜多流は男神として演じます。金春流には『絵馬』が無く、これは江戸時代、幕府に未登録であったためと思われますが、五流で一番古い歴史を持つ流儀がこの曲を手がけないのは残念な気がします。
「女体」の小書が付くと後シテは女神の姿となり、頭上に日輪を戴き、白狩衣に緋大口袴を穿いて、両手で中啓を笏(しゃく)のように見立てて持つ独特の構えで現れます。
天鈿女命(女ツレ)を先頭に、手力雄命(たぢからのおのみこと・男ツレ)を従えて厳かにゆったり現れる様は「女体」ならではの光景で、後半の見どころのはじまりです。
「女体」になると曲の位が上がり重い習となり、若年の者は勤められなくなります。
「神遊」や「女体」など小書が付くと位が上がる曲は、若い能楽師にとっては「いつか舞いたい!」と憧れる曲、小書で、私も実現出来たことに満足して喜んでいます。
今回、追善公演でおめでたい『絵馬』「女体」を勤めることは、いささか不似合とお思いの方もおられたと思いますが、今回の選曲は父が亡くなる前から決定していたことであり、またこの大曲を私が勤めてこそ、父も喜び、よい手向けになると思い、精一杯勤めることにしました。
ではまず『絵馬』のあらすじです。
大炊の帝(淳仁天皇)に仕える勅使、公能は伊勢大神宮へ参向する途上、老夫婦が連れ立って斎宮へ絵馬をかけにくるのに出会います。
由来を尋ねると、昔は馬の毛によって翌年の天候を占う習慣があったが、今は絵馬を掛けて明年の天候を占う、と答えます。
尉は白の絵馬を掛けて日照を、姥は黒の絵馬を掛けて雨を占うと、掛け絵馬について争うが、結局万民快楽の世にしようと二人は二つ掛けることにします。そして老夫婦は公能に自分たちは伊勢の二神、天照大神と月読尊(つきよみのみこと)であると告げ消えてしまいます。
中入
やがて天照大神が天鈿女命と手力雄命を従えて現れ、天照大神は自身神舞を舞い、岩戸隠れの様子も再現して見せます。
前場は五穀豊穣万民快楽の泰平を祝い、後場は天の岩戸の神話を描いていきます。
『絵馬』は脇能ですが、その構成は『高砂』『弓八幡』などの通常の脇能とは大幅に異なります。
ワキは五段次第で登場し、シテは真之一声から下歌、上歌は通常の脇能形式ですが、序・サシ、クセ・ロンギという脇能の構成を持たず、クセの途中で中入りするなど特異で、しかも地謡の和吟での斉唱は非常に珍しいものです。
そのため、強吟で謡うシテとツレは和吟で謡う地謡へのスムーズな橋渡しが必要で、ここにシテとツレの謡い方の心得があります。
「女体」の後場では、シテが「小面」をかけて神舞を舞い、天鈿女命が神楽を、途中から手力雄命の急之舞と、舞尽くしの舞台展開となります。
囃子方にとっても、技術力はさることながら、体力も必要な非常にタフな小書であるため、裏話をすると、囃子方からはやや敬遠されがちな小書なのです。
しかし、優れた囃子方が揃っての「女体」は見ていて圧巻、また自分自身舞ってみると、お囃子の音色が身体にビンビン響いてきて、わくわくしてしまいます。
「女体」はシテが神舞(五段)を舞い、力神(手力雄命)も急之舞(神舞の後半)を舞うため、同じ早い舞が続いてしまい、代わり映えのしない印象を受けます。
他流では、そこのところ、シテがゆったりと中之舞を舞い、それぞれの役柄に似合った舞の特徴が出てよい効果を生みだしています。
そこでお囃子方(笛・一噌幸弘氏 小鼓・大倉源次郎氏 大鼓・亀井広忠氏 太鼓・助川治氏)に「女神と力神の違いが出るように囃してほしい、神舞を『高砂』のようではなく、少しゆったりと囃してほしい」とお願いしました。
今回は手力雄命(力神)が特別に面「大天神」をつけること、流儀の面と装束のことなども説明すると、助川氏は観世流太鼓方としての「女体」の心得を話して下さり、全員すぐに納得同意して下さいました。
当日、出番前の亀井広忠氏に「魚町の面を見ておいて」と言うと、「うお?、なるほど判りました」と答えられました。彼なりに神舞・急之舞の世界を思い描いて囃してくれたと思っています。また他の囃子方もご自身の描く「女体」の世界を想像されていたようで、その結果、適度な具合のよい神舞と急之舞になったと、私は囃子方に感謝しています。
今回、私自身「天照大神の神舞(シテの神舞)をどのように舞うか?」を考えました。
「演者は細かな事は考えずに、真っ直ぐに舞っていればいいんだ」と、先人のお声が聞こえてきそうですが、どうも、はっきりさせたがる私の性分で、いろいろと考えてみました。
神舞は弟の素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまがはら)へ侵攻してくることへの怒りであると説明する方もあれば、小面を掛けて素早い舞を見事に華麗に舞う芸力を見せる、そうすれば自然と神に見えると唱える方もあり、また総神としての威厳が見せられればいい・・・、と色々様々です。
私は女神の威光、それは太陽そのものであり、広大な高天原にまぶしいばかりに輝く太陽光線のイメージではないだろうか・・・、天照大神の光臨、早い中にもゆったりとした包容力のある女性のやさしい身体の動きが見せたい・・・、いくら早くても乱暴な印象が残るのだけは避けたいと思い舞いました。
さて、皆様がどのようにご覧になられたかが、気になるところです。
今回、謡の詞章で気になるところが二つありました。一つはツレの謡です。
喜多流では、シテの「尉が絵馬を掛けて民を喜ばせばやと思い候」の言葉に対して、ツレは「さように謂われを宣はば、こなたも更に劣るまじ」と終わらせ、続いてシテが「力をも入れずして天地を動かし、目に見ぬ鬼神の猛き心を和らぐる」と謡います。そしてまたツレが「歌は八雲を先として、天ぎる雪のなべて降る、これらはいかで嫌ふべき」と続きます。
観世流はこの姥の尉に対しての反論をすべてツレの言葉として謡います。
それが当然だと思うのですが、どのような訳なのか、喜多流は尉が姥の反論まで謡ってしまう奇妙な演出です。
この老夫婦の言い争いを、自分の生活に置き換えてみると、確かに相手の意見を自らが喋ることもあるので判らないでもないですが、能の舞台という観客に状況を伝える場に於いて、この作りは少々不明瞭、不備だと思います。
今回観世流のように、ツレに反論の部分を全部謡ってもらおうかと思いましたが、披きでもあるので、新しい冒険は控えました。もっとも従来通りで正しいという意見があれば、お教え戴きたいと思っています。
次に後場の出端に謡われる「雲は萬里に収まりて、月読の明神御影の、尊容を照らし、出で給う」の詞章です。天照大神の弟、月読命があたかも登場するかのように謡いますが、実際月読命は登場しません。
これは前場の前シテと前ツレの老夫婦が、実は天照大神と月読命の伊勢の二柱だと告げているために作られた詞章なのかもしれませんが、「女体」でご覧になられる方には、これもまた不思議な光景と似合わぬ詞章だと思いました。
これはこじつけのような私見ですが、天照大神が月読命と両性を備えているとも考えられます・・・。これも同様にご説明して下さる方がいらしたらお教え戴きたいです。
今回は新聞(毎日・産経・日経、記載順)にも報じられましたように、豊橋・魚町能楽保存会のご協力を得て貴重な面の数々を拝借しての演能となりました。
我が家にも『絵馬』に使う面は用意出来ますが、古代の神話を桃山時代や江戸初期に創作された名品の面を借りて演能してみたいとの思いが叶い貴重な経験が出来ました。
前シテは出目友閑の小尉、少し面長な顔立ちですが、能夫は「尉髪の髷がのると丁度よく見える」と話していました。前ツレの姥は、先代金剛流宗家金剛巌氏が足利時代と目利きをされた面でした。しかしこれは生憎、面紐を通すあたりに問題が見つかり、急遽使用を諦めることになりました。万が一のときは、と予め用意しておいた我が家の姥を代用しましたが残念でした。
面は後生大事にお蔵に入れっぱなしでは、木も魂も死んでしまいます。
時には外気に触れ、人間の手に触れ、能楽師が使用してこそ、魂は目覚め生き返ると思います。今回の姥のように使えなくなってしまったり、修理をしなくてはいけない面は全国の神社や寺、または個人の家にもまだまだたくさんあると思われますが、手入れして、舞台にあがってこそ、面もそれを打った面打師も喜ぶのではないでしょうか。
至急、修理や保管の見直しなどの対応を急がなければ、取り返しの付かない事態になるのではと危惧しています。
後場の面は、シテ天照大神に井関河内作「小面」、天鈿女命に名品、出目是閑作「増女」、そして手力雄命には作者不明ですが、桃山時代の作と言われている「大天神」を使用しました。
中でも「増女」のすばらしさは楽屋での話題となりました。
実は私も「増女」を掛けて舞いたかったのですが、披きでしたので流儀の決まり「小面」で勤めました。こんなことを書くと河内「小面」に怒られ拗ねられそうですが、勿論この面も天下一の名品です。
ツレの面は本来「三日月」ですが、浩之君の芸風には「大天神」が似合っていると思い、また、使えるチャンスがあまりない面なので拝見したく、思い切って使用しました。楽屋内の評判はなかなかのもので、効果があったとの意見をいただき一安心しています。
私は能面や能装束が古いものならばなんでも良いとは考えません。新しいものであっても良いものもあります。大事なことは古くても、新しくても、そのものに訴える力があるかどうかです。見る者の心に伝わるものがあれば、それでいい、それが本物だと思います。
私は常に本物に触れていたいと心掛けています。
では本物はどのようにしたら見極める事が出来るか、それは感性が第一でしょうが、時間をかけての経験と、好奇心をもって見ていれば、見極める力は自然とついてくるのではないでしょうか。
今回、魚町保存会の方々のご支援で、よい経験をさせていただきました。魚町保存会に感謝申し上げます。
この貴重な経験を大事にして、次の能へとまた志を新たにして行きたいと思います。
(平成20年10月 記)
写真
1 後シテ 粟谷明生
撮影 吉越スタジオ
2 橋掛にて 左より手力雄命 粟谷浩之 シテ 粟谷明生 天鈿女命 内田成信
撮影 吉越スタジオ
3 後場 左より手力雄命 粟谷浩之 シテ 粟谷明生 天鈿女命 内田成信
撮影 岩田アキラ
4 前シテ 粟谷明生 前ツレ 大島輝久
撮影 岩田アキラ
5 小面 井関河内作
撮影 粟谷明生
6 増女 出目是閑作
撮影 粟谷明生
7 大天神 作者不明
撮影 粟谷明生
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