『葵上』の謡の奥深さ

粟谷明生
 シテ方の能楽師が一人前になったとお墨付きをいただく曲が『道成寺』です。
昔は『道成寺』を披くには、『紅葉狩』で「急の舞」、『黒塚』で「祈り」を、『葵上』では『道成寺』と同じ扮装の坪折姿に慣れ、謡の勉強をし、そして『道成寺』へと進むという修行過程があったようです。しかし最近は必ずしもこの順序は守られず、かくいう私も『道成寺』のあとに『葵上』を勤めた経験者です。
私は『葵上』はやはり『道成寺』の経験を基に勤めた方がよいと思っています。『葵上』は謡が難しい曲です。単なる節扱いだけではなく、『葵上』という曲をいかに謡えるかが重要なのです。だからこそ、この曲が『道成寺』を勤めた者の次なる大きなテーマになると考えた方が良いのではと私は感じています。
これからの喜多流を支えていく若い人々が、謡の技術アップのためにどうしても通らねばならぬ曲、又一般のお謡のお稽古をなさっている素人の方々でも一度は謡ってみたいと思う曲、『葵上』。そうでありながら、簡単に稽古や演能のお許しが出ない理由は、それほどまでに大事な曲だからなのです。聞いていてる人が六条御息所の生霊と想像出来る謡、それは難しく短期間で修得出来るものではありませんが、玄人も素人も乗り越えなくてならない課題で、これが上手に謡えるようになると「ああ、大人の謡になってきたね」「曲を謡えるようになりましたね」とようやく先輩や先生に認められるのです。
というわけで、『葵上』の最も大事なところ、それは前場のシテの謡であるといえます。シテ連(照日の前)の梓弓の音と呪文によって呼び寄せられたシテ(六条御息所の生霊)の第一声「三つの車に法の道、火宅の門をや出でぬらん」。ここからクドキまで、一部シテ連やワキ連が謡うところを除いてほとんどシテ一人が謡い続け、葵上(出し小袖/小袖が葵上を象徴するように舞台中央に置かれている)を打擲するところまで、一気に物語を進めていきます。
ここの謡、詞には御息所の思いのたけが込められ、節づかいは感情の起伏を巧みに表現しています。この大事な箇所を、ただ大きな声で朗々と謡いあげるだけでは曲にならず、曲に拘り過ぎて蚊の泣くような萎びた声では謡にならず、節を追うだけの幼稚さでは気持ちを表すことは出来ません。そして舞台に於いては必要以上のやる気満々、情熱いっぱいという熱演は、逆に観客や廻りの出演者をもしらけさせ空回りで失敗になるという性格を持った曲なのです。
喜多流で私の年代以上の人たちは皆、喜多実先生にお習いしていました。実先生は、
お稽古というと「さあ、仕舞を舞ってごらん」「能の稽古をしてあげる」と型重視で舞うことの嬉しさ楽しさを教えて下さいましたが、謡の方には余り時間をかけられませんでした。詞や節づかいが間違いなければ、それほど注意も受けず、謡のご注意で何回もダメ出しが出るなどの経験はありませんでした。しかし、歌舞二曲でできている能の中で、その構成は謡の占める割合が七割から八割、動き(舞など)は二、三割ぐらいと言われています。七割を占める謡をいかに謡えるかで、お能の出来不出来、その演者のよし悪しが決まるといっても過言ではないのです。
『葵上』のシテ、御息所の謡は、張りのある柔和な落ち着きと、柔らかさの中にも強さがあり、強さの中に艶がある、‥‥こう謡いたいのです。そのためにも、御息所の人となり、心の動きを知らねばなりません。
六条御息所は、前の東宮妃、つまり皇太子妃であったわけで、東宮の早世によって後ろ盾を失ってしまいますが、高貴な身分の女性です。しかも教養豊かで理知的、源氏とかわす和歌やもてなし方にも典雅な気品が匂い立ち、源氏の心をとらえた女性でもあります。しかし一方で、源氏より七歳年上であることや、近頃の何の契りもない情況の心もとなさから、いつかは源氏が自分のもとから去っていくだろうと不安を抱え、若く美しい正妻・葵上に対する嫉妬は知らず知らずにつのるのです。それでも高貴な身の上、はしたない行動には出られず、じっと耐えています。
そんな六条御息所を打ちのめしたのは、賀茂の斎院の御禊(ごけい)の折、都大路を行列する斎院と光源氏らの姿を一目見ようと出立した六条御息所の車が、後から来た葵上の車に押しやられ、打ち払われた事件です。散々の恥ずかしめを受け、その上源氏の晴れ姿を見ることも出来ませんでした。これが深い恨みとなって、夜半ともなると理性の箍(たが)がはずれ、生霊となって葵上に取りつき苦しめることになります。その行為は自分では押しとどめることができませんが、恥ずかしく悲しくも感じているのです。
こんな六条御息所の心情は「夕顔の宿の破れ車、遣る方なきこそ悲しけれ」や「あら恥づかしや今とても、忍び車のわが姿」など、前場のシテや地の謡に切々と謡われています。「われ世にありし古は」からのクドキでは、自分が華やかにときめいていた時代を謡い、それにひきかえ、今の自分のみじめさも吐露します。そして「われ人のため辛ければ、必ず身にも報ふなり」と謡って、人に辛い思いをさせた者は、報いを受けるのだとばかり、六条御息所の気持ちは高ぶり、「今は打たではかなうまじ」と、ひと打ちするところまで追いつめられていきます。

この流れや心情をシテはしっかり受け止め謡っていくことが大事です。日ごろ理知的で高貴な人が、自分の感情を抑えきれずに、こうまで爆発してしまうのは何故か。それは賀茂の祭りという大衆の面前で散々に恥ずかしめを受けたことと、もう一つ、自分にはもう望めない葵上の懐妊が決定的な打撃となったのです。嫉妬する対象がただ若く美しい正妻というだけではない、全ては承知の上なのにどうしても気になる懐妊という事実であると私は解釈して演じています。
さて、『葵上』では、葵上(出し小袖)を打つときの打ち方もポイントの一つです。
林望さんは著書『林望が能を読む』(集英社文庫)において、「葵上を打擲した後も、それで六条御息所の心が晴れたのではない。それどころか、嫉妬に狂って、葵上を殴る自分の姿が、鏡に映ってはっと気が付く。ああ、なんて醜いおのれなのだろう。こうして、彼女は、ますます深く暗い絶望の淵に沈んで行きながら、破れ車に乗って消えて行くのである。」とし、「その面影もはづかしや。枕に立てる破れ車、うち乗せ隠れ行こうよ」というのは、恥ずかしい己の姿をさっと乗せて行こうというのであって、葵上を乗せてさらっていこうというのではないと指摘し、従来みなそのような解釈になっているのは怪しむべきだと述べています。
この指摘は、私もまったく同感ですが、このような誤解となるのは型付のためでもあろうと思われます。「その面影・・・・うち乗せ隠れ行こうよ」と大小前にて廻り返し(ぐるぐるまわる)をしながら着ている坪折を脱ぎ、葵上の出し小袖の所にフワッと取りついたかのようにして行き、拍子を踏んで消えていく型付。これではいかにも、葵上を自分の破れ車に乗せ、邪悪な霊界に連れ去ろうとしているように受け取られてもしかたない型です。この型が問題であって、林さんが言われるように、鏡に映った自分の醜い姿、嫉妬に狂った姿を恥ずかしく思い、さっと消え去るしかないという所作に型を変えるべきでしよう。実際、観世流にはこのような型があり、昨年(平成11年)10月に私が勤めました『葵上』ではそのような型にて試みました。
さらに、そのときの舞台は小書「長髢」(ながかもじ)で、緋の長袴をはき、長い髢をつけました。長袴は宮中の優美なイメージが出るので、六条御息所にふさわしく、観世流では小書「空の祈」で使っているようです。私はかねてからこれを着て演じたいと考えていました。緋色は激しい嫉妬や執心を表現するのに合っています。長袴や長髢は長いものを引きずりますから、執心を引きずっているイメージにも合います。緋の長袴は喜多流では『殺生石』の小書「女体」を金剛流から頂いた時に入って来まして、使用が可能となりました。

長袴の演出にしますと、袴を付けるためどうしても中入りしなければならず、従来の型ができにくく、工夫が必要とされます。鏡に映った自分の姿を見て恥ずかしく思い、さっと破れ車に乗って帰っていく型を生かすためには、坪折を脱ぎ葵上を見たら、すーっと橋掛かりに走りこんで中入りしてしまう、このほうが似つかわしいだろう思い、そのようにやりました。
また、喜多流には替えの型で、葵上の出し小袖に扇を投げ捨てる型もありますが、ここまでしますと、六条御息所像が全く違うものになってしまい感心しません。この型と常の型は誤解される型であり、演出のまずさが残っていると気になり改めたいと思っているものです。
私は父(粟谷菊生)から、この打つところが難しく、御息所になれるかなれないかの大事なところだと教えられてきました。「ここぞとばかり強く打つ者がいるが、そこは本当は打てないところ、打ってはいけないのだ」と父は言います。そして、六条御息所は皇太子の奥様になり子供もある高貴な方であることなど、御息所の立場とその場の状況を簡潔な言葉で説明し、だから打ち方はこうなるのだと言って、一振り見せてくれます。
この教え方はわかり安くとても説得力があって、私の心に深く刻まれています。
最初に説明があると、それでイメージをふくらませ、ではどんな打ち方になるのか集中して見ます。そうすると「えー、なるほど」となります。もうひとつのやり方は、逆に、打って見せてから、これはこういう意味だと教える方法ですが、どちらがわかりやすいかは様々です。一般には、こうやるんだと型を見せ、あとはそれを真似ろと、意味もなく教えられることが多いもので、このやり方が有効な場合もありますが、父の教え方は稽古論として参考になると思います。
もう一つ父から教わったのは、最後の「祈リ」の場面です。ワキの横川の小聖が数珠をジャラジャラと押しもんで、呪文を唱えると、シテは聞きたくないので橋掛りの幕際まで逃げていきます。父は「ここのワキの山伏はうるさい小犬だと思え。」と教えてくれます。小犬がキャンキャン、ワンワン言っている声は、最初は我慢していますが「あーっ、うるさい」とついに癇癪を起こして睨みつけてしまう、そんなイメージだと。『黒塚』の鬼の場合は、真に迫った戦いの場で、山伏、阿闍梨祐慶に襲いかかり、食べてしまわんばかりの迫力があるところですが、御息所のそれはもう少しソフトで、うるさい山伏の祈りを振り払おうとする程度のものと解釈すればよいということです。
確かに、最後は「悪気心を和らげ」「成仏得脱の身となり行くぞ有り難き」で終わっていて、悩まされ続けた嫉妬や執心から救われるのですから、悪鬼を強調し過ぎなくてよいわけです。こういう終わり方は、いかにもお能らしいところです。   
(平成12年10月 記)

粟谷 明生
写真撮影 前 吉越研 後 東條睦

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