粟谷明夫の能がたり

中国、西安と北京の旅 ②投稿日:2006-03-16

平成14年7月9日より三泊四日、喜多流の、出雲康雅氏、粟谷能夫氏、長島茂氏と私の4名で中国、西安と北京に行ってきました。目的は兵馬傭坑と万里の長城の見学です。天気にも恵まれ、広大な中国の大地とスケールの大きさを痛感し、歴史ある史跡に感動してきました。
行程は初日が移動のみとなり、成田より北京経由にて西安に入りました。二日目、西安では華清宮、秦の始皇帝の兵馬傭、空海ゆかりの青龍寺(しょうりゅうじ)、阿倍仲麻呂記念碑、文字の博物館碑林、最後に大雁塔に登り、途中、強制的におみやげセンターに寄り道させられ、行程、おみやげ共にぎっしり詰まった旅でした。
三日目は朝6時起きで、北京空港に向かい、到着後直ぐに、明十三陵を見学して昼食をとり、万里の長城、八達嶺(はったつれい)から全員目標の見晴台まで無事に行ってきました。夕方には天安門広場を散策して、北京ダックのおいしい老舗、北京全聚徳飯店にて夕食をとり、夜は屋台の街を徘徊し試食してもいいかなと思いましたが、おなかを壊しそうな雰囲気でしたのでホテルに帰り、部屋で宴席としました。
帰国日は朝、天壇公園に寄り、故宮博物館を尋ね散策して帰国しました

北京空港に到着。マイクロバスを待っていると、空港警備員が駐車違反の車をレッカー移動し始めました。そうしたら軍人が大きな声を発しながら動いている車の屋根に飛び乗り、警備員と言い争いになりました。「白ナンバーは軍人です」とはガイドさんの第一声。

万里の長城、八達嶺に連なる天寿山の麓に点在する明十三陵の一つの定陵。

正門に向かう途中の橋より、前を撮影。

正門に向かう途中の橋より、後を撮影。

正面正門の地下27メートルのところに第13代皇帝神宗万暦帝の棺がありました。

正門に向かう途中の橋より、後を撮影。

正面正門の地下27メートルのところに第13代皇帝神宗万暦帝の棺がありました。

地下宮殿を造る時にこしらえたトンネル。

北京観光のガイド役の楊さん。

定陵の地下は撮影禁止でした。外の暑さを忘れるほど涼しかったです。

定陵の正門を横から見る。

万里の長城は登り口が幾つかありますが、今回は北京から北西の八達嶺に登りました。

望楼(砦)

八達嶺から西の砦を見る。

兵士が10人並べる広さにびっくり。

目指した見晴台(望楼)からの眺望

登った先にもずーと続く長城。

無事全員到着、記念撮影です。

万里の長城の雄大さには、月から見える建造物といわれるのも納得。

さあ下りです。慎重に急階段を下ります。

守衛の方も暑さにばてぎみ。

天安門広場前の道路から撮影。車、自転車、人の波、人口の多さを感じました。

毛沢東が眠る、毛主席記念堂。翌日はこの前に長蛇の列が出来ていました。

人民大会堂は日本の国会議事堂、5000人の収容宴会場があります。

夕食は全聚徳で北京ダックのコースをいただきました。

天壇公園にある皇穹宇(こうきゅうう)は祭祀の際、皇帝の位牌を置くところです。

祈念堂まで門がいくつもあります。

祈念堂への道。ここを通るとき、真中は皇帝、隣は皇后と決まっていたといいます。

道の端は宦官と定められていました。

祈念堂。

明、清の歴代の皇帝は五穀豊穣をここで祈ったといいます。釘を使わぬ建造物。

公園

公園には将棋をする人や歌を歌う人、羽を落とさないように蹴って遊ぶ人たちが沢山いました。

横縞の足を上げてる人は中国一の名人だそうです。羽を試しに一つ買いましたが、あっという間に羽が抜ける不良品でした。

午門は紫禁城の正門。

太和殿

太和殿前の外朝、広大な広場です。

体仁閣は正面横に見えます。

太和殿

皇帝の椅子(1)

宮殿は石を敷き詰めているため、植物は植えられません。

中和殿は皇帝が休むところ。

皇帝の椅子(2)

皇帝の椅子(3)

映画「ラストエンペラー」で皇帝が自転車に乗る場面はここで撮影されました。

皇極殿、珍宝館に入るにはオレンジ色の草履を買って履くことになっています。

規模は小さいが色が鮮やかな九龍壁。

皇極門の中は珍宝殿。

貴重品の殆どは蒋介石が持ち運びだしてしまったそうです。ですから中華民国、台湾の故宮博物館の方が、レベルが高いといわれています。

珍宝殿の天井。

西太后の椅子、ここで食事もしたらしい。

おしゃれな通り道

珍妃井

珍妃井は義和団事変の際 珍妃が西太后に強制的に投げ込まれた井戸。

故宮裏門の神武門

日本ではもはや見られぬ昔懐かしい、トロリーバス(1)

日本ではもはや見られぬ昔懐かしい、トロリーバス(2)

中国での最後の食事所、さすがに中華料理は飽きてきました。

食事を運んでくれるこの人は日本語が上手なので色々お話出来て楽しかったです。