粟谷明夫の能がたり

『黒塚』を勤めて 〜糸車のようにめぐる命投稿日:2025-11-15

『黒塚』を勤めて
糸車のようにめぐる命

久しぶりに山口市にある野田神社の能舞台で「山口薪能」『黒塚』(令和7年11月3日)を勤めました。野田神社は毛利敬親公をまつる神社で、能舞台は毛利家が建築奉納したもので、とても立派な舞台です。平成12年に初めてお邪魔し『小鍛冶』を勤めて以来、実に四半世紀が流れました。
当日は寒い日でしたが、用意した客席が満席となる、500名のお客様をお迎えし開催することができました。開催にあたり野田神社・真庭宗雄宮司様、主催の山口薪能実行委員会の皆様には大変お世話になりました。厚くお礼申し上げます。今回、野田神社能楽堂を初めて経験する能楽師の面々も「こんな立派な能舞台があるなんて!」と絶賛していました。是非また、ここで能が開催されることを願っています。

私の『黒塚』の初演は30歳のとき、それから40年が経ち、今回が11回目の演能になりました。『黒塚』はそれほど位の高い能というわけではありませんが、ドラマチックであり、女の深い悲しみが描かれていて、人気曲となっています。観世流ではこの曲を『安達原』と称しますが、舞台は奥州安達原です。

まずは物語を簡単に記しておきます。
回国行脚に出かけた那智の山伏・祐慶ら一行(ワキ・ワキツレ)は奥州安達原で行き暮れ、野中に1軒の家を見つけ宿を乞います。そこで一人寂しく暮らす里女(前シテ)は一旦断りますが宿を貸すことにします。山伏がふと見つけた枠桛輪(わくかせわ:糸車のこと)。里女は問われるままに糸車を回し身の苦しみを嘆き、また糸尽くしの歌を謡って見せます。夜寒になり、女は薪を採りに山に出かけますが、一旦戻り「閨の内を見るな」と言い残して行きます。(中入)
山伏らは見ないと約束しますが、能力(アイ)はこっそり閨の内を見てしまいます。そこにある死骸の山に肝をつぶし山伏に報告。山伏たちが逃げようとすると、鬼女となった女(後シテ)が現れ襲い掛かります。山伏たちは数珠をもんで祈り、ついに鬼女は祈り伏せられ消え去ります。

『黒塚』の女はどういう女なのでしょうか。鄙の地で一人寂しく暮らす孤独な女、その地で鬼にならざるを得なかった境涯、同時に鬼の本性もどこかで隠し持っている女・・・と、いろいろ想像出来ます。宿を求める旅人を喰らう「安達ケ原の鬼婆伝説」(2000年の演能レポート参照)もあるようですが、喜多流の能『黒塚』はそこまで凄惨な物語は語らず、前シテの里女も老婆ではなく中年の女で、面は「曲見(しゃくみ)」としています。里女は糸をつむぐ地味な下働き、賤が業で暮らしていますから、装束も地味で中年に似合うものが吉です。今回は写真のように地味な紅無唐織にしました。
昔、少し華やかな紅無唐織に「瘦女」の面で勤めたことがありますが、不似合いでした。
「痩女」の表情からは、後シテの力強い鬼女には繋がりがよくありませんでした。

地謡の次第は「真赭(まそう)の糸を繰り返し、昔を今になさばや」です。
この和歌は『黒塚』のテーマであり、里女の思いが集約されています。
永遠に繰り返さなければならない賤の業、そして明かせない過去の罪業を悔やみながらも、また繰り返してしまうかもしれない意志の弱さを嘆き、若かった昔を今に戻したいと願いながら糸車を回します。
やがて、そんな辛気臭くなった場(一セイからクセまで)を変えようとするかのように、ロンギから、糸尽くしの華やかな謡を地謡との掛合いで謡い始めます。源氏物語の夕顔の宿を訪れた源氏の日蔭の糸の冠、葵祭に駆け付けた糸毛の車、糸桜(しだれ桜)の咲く頃、秋の糸すすきと、クセまでの暗い独白とはがらりと趣を変えて、糸車に縁ある糸尽くしの謡です。
人は単純作業をするときに、音楽を聞いたり口ずさんだりしたくなる、昔も今も同じです。
あるいは、昔よい暮らしをしていたかもしれない里女は、「昔を今になさばや」と華やかな謡が口をついて出たのかもしれません。
喜多流ではこの場面、次第とロンギの最後だけ糸車を回すのが常の型ですが、私は糸を繰り返し回す動きをアピールしたく、ロンギからずっと回し続けました。これは観世流の小書「長糸の伝」にある型なので、特異な演出ではありません。ただ、謡うことと手を回すこととがチグハグになっては折角の型も台無しなので、十分気を付けなければいけません。
糸車を回すことが、繰り返す日々の暮らし、逃れられない罪障、輪廻、繰り返す習性といったものを象徴しています。それを舞台上で謡と少ない動きで表現することが演者の役目、使命である、その事を忘れてはいけない、と今回も思いました。

ロンギの最後、シテが「長き命のつれなさを」を謡った後、地謡が「長き命の・・・」と繰り返すところで、里女は糸車を回しながらふっと山伏を見ます。そしてすぐにまた我に返って糸車を回し、最後は泣き崩れます。
このふっと見る心持ちはどのようなものなのでしょうか。
喰ってしまおうか・・・、
喰いたいが山伏では罰があたりそうだからやめておこう・・・、
いやいや、もうこの機に人を喰うのはやめよう・・・
と、いろいろでしょう。ここはご覧になる方のご想像にお任せします。

やがて、寒くなったので薪を焚いてあげましょうと、優しい言葉をかけて山に薪を採りに出かける女ですが、急に戻り「閨を絶対に見るな」と念を押します。
この余計な念押しが、女が鬼にならなければならない引き金を引いてしまうのです。

山伏は閨など見ないと言いますが、同行の能力は閨が気になって仕方がありません。
『黒塚』のこの場面の間狂言(アイ狂言)がとても面白く、人間味溢れ、笑いを誘います。
見てはいけないものを見たくなる、この心理。
神様もやってしまいますから、我々人間は仕方のないことです。

イザナギとイザナミはまぐわいの後、次々と国を生みますが、最後に火の神カグツチを生む時、イザナミはホトを焼かれて死んでしまいます。イザナギは嘆き悲しみ、黄泉の国までイザナミを追いかけ再会しますが、イザナミの「待て」の言葉に待ちきれず、蛆虫がわいた無残な死骸を見てしまいます。驚いたイザナギは逃げ、恥をかかされたイザナミは追いかけます。
この話に似ていませんか?

能力は女と約束したのは山伏、自分は約束していない!と言って、閨を見てしまいます。すると、人の死骸が山積みされていました。寝ている山伏を起こして急いで逃げますが、裏切られたことを知った女は鬼女と化し「いかに旅人、止まれとこそ!」と凄まじい形相で現れます。

この後シテの出立について、伝書や謡本には、面「顰(しかみ)」、赤頭、半切袴の鬼神(男)姿が書かれています。しかしこの格好では到底鬼女とは想像しにくいので、近年は面「般若」、髪型は黒頭か本鬘の掴み出し、装束は「肩脱ぎ着流し」や「腰巻裳着胴」にし、鬼女らしい格好が普通になりました。
面「般若」は怒りと哀しみを表す女の面です。「般若」という言葉は仏教の最高の知恵を意味する梵語と言われています。最高の知恵? つまり悟りは怒りと哀しみを経てこそ得られるものなのかな? などと考えますが、私には本当のところよく分かりません。ただ、猛々しい男面の「顰」とは違うことは確かで、黒塚の女には「般若」が似合います。
髪型は謡本にある赤頭と小書「白頭」での白頭、小書「替装束」での「黒頭」、そして近年よく使われる本鬘の掴み出しの4通りがあります。掴み出しは、普通の綺麗に結わえられた鬘の髪を掴み出して乱れた髪に変える演出です。
装束は「肩脱ぎ」か「裳着胴」の2通りで、「裳着胴」ははだけた格好で、より生々しい女となります。
私はこれまで、小書「白頭」と「替装束」をそれぞれ一度ずつ勤め、白頭、黒頭を経験しましたが、今は、面は「般若」、髪型は本鬘の掴み出し、装束は腰巻裳着胴の格好が自分に一番似合う鬼女の姿だと思っています。

鬼女と化した女は怒り、山伏たちに襲い掛かります。しかし、山伏たちに祈り伏せられ夜嵐に紛れて消え失せます。
「般若」の面は上半分が眉根をひそめた哀しみの表情、下半分は口が上まで裂けた怒りの表情を持っています。演者は体全体を使い面の角度を変えて、二つの顔を表現します。
山伏に祈られる「祈り」では、山伏の祈祷する数珠の音を嫌がり、面を次第に下に向けて数珠の音に耐えますが、遂に耐え切れず面を鋭く上げ、山伏や僧に向けて怒りを露わにします。

この「祈り」は『黒塚』の他に『道成寺』や『葵上』にあります。
祈り伏せられるのは、『道成寺』では蛇体、『葵上』は六条御息所の生霊、『黒塚』は鬼女です。「祈り」は山伏や僧に祈られ、もがき苦しみ抵抗する動きで、その抵抗具合は生霊が柔らか、蛇体が一番強く、『黒塚』の鬼女はその中間と思って勤めています。


『葵上』は六条御息所という高貴な人の生霊ということもありますが、最後は成仏して救われ、めでたく終わっているので、柔らかくです。『道成寺』の蛇体は恋愛沙汰で、鐘に向かって吐く息が猛火となって自らを焼き、苦しんで日高川に身を沈める壮絶な終わり方で、これはもう救いようがなく、強さが前面に出てしかるべきでしょう。『黒塚』の鬼女は夜嵐の風の音に紛れて消え失せますが、大した痛手を負っているわけではなく、救われてもいません。また現れて、同じ罪障を繰り返すかもしれない、まさに糸車のような逃れられない命の哀しさです。ゆえに強さと柔らかさの双方を持つ中間的な表現になるのです。

山口薪能を終え、翌日は広島の厳島神社で友枝昭世師の「観月能」で『花月』の地謡を勤めました。「観月能」のパンフレット「観月能のあゆみ」を見て、1996年の第1回から今年2025年の第27回まで、あっという間の時の流れに驚いています。
私はこのうち25回参加しており、特に『松風』のツレを勤めさせていただいたことなど、感慨深く思い出しました。
さあ、これからは来年3月の粟谷能の会『伯母捨』にシフトします。気持ちを切り替え、健康に気を付けて精進していこうと思っております。

写真撮影 井町 健
脇  宝生常三
小鼓 曽和伊喜夫
大鼓 白坂保行
太鼓 吉谷 潔
(2025年11月 記)

『遊行柳』を勤めて 〜信光の最晩年の挑戦〜投稿日:2025-10-16

『遊行柳』を勤めて
信光の最晩年の挑戦

70歳になる2日前の喜多流自主公演(令和7年9月28日)にて『遊行柳』を勤めました。『遊行柳』は世阿弥の春の名曲『西行桜』(作者は金春禅竹とも)を意識して、対比するようにして作られた観世小次郎信光の秋の名曲です。どちらも、シテは樹木の精で老人(男)です。この二曲は生涯に一度は勤めておきたい課題曲と考えていましたので、演じ終えてその課題を肌で感じることが出来たことを喜んでいます。

まずは、簡単にあらすじを記しておきます。
一遍上人の教えを全国に広めようとする諸国遊行の聖(ワキ)が白河の関を越えて、新道を行こうとすると、老人(前シテ)が現れ、先代の遊行上人が通ったのは古道と呼ばれる昔の街道だと言い、そこに名木・朽木の柳があると案内します。
聖がこの朽木の柳の謂れを問うと、老人は昔、西行がこの地へ旅して
「道の辺に清水流るる柳陰 しばしとてこそ立ちどまりつれ」
と、歌を詠んだことを語り、聖より十念を授かると古塚に消え失せます。(中入)
その夜、聖たちが念仏を唱え仮寝をしていると、柳の精が白髪の老翁(後シテ)の姿で現れ、非情の草木までも成仏できる念仏の功力を讃えます。
さらに、柳に因む故事を述べて報謝の舞を舞い、やがて消えてゆきます。

作者・観世小次郎信光は世阿弥の甥・音阿弥の子で、世阿弥からは二世代後の人です。
信光が生きた時代は戦国時代、世阿弥の室町時代の雅びさが残る時代とは違い、死人が累々とする血なまぐさい時代です。世阿弥が完成した幽玄の能、複式夢幻能といった高尚な作品よりも信光は誰にでも分かりやすい作品、『船弁慶』や『紅葉狩』を作りました。

『遊行柳』は信光の最晩年、亡くなる2年ほど前(78歳くらいか)の作品で、それまでの作風とは一変して、世阿弥の幽玄能に近い作品です。
シテが老木の精(男)であることや西行の歌を挟むなど、信光が『西行桜』を意識して創っていることは、演じて確信しましたが、なぜ最晩年にこれほど作風の違うものを創作したのか『西行桜』と『遊行柳』を比較して答えを出したいと思います。

『西行桜』は一場ものですが、『遊行柳』は複式夢幻能の体裁を整えています。
『西行桜』の桜の精は「埋木の人知れぬ身の行くへにも 心の花は残りけるぞや」
と、和歌を口ずさんで純和風に登場しますが、柳の精は「沅水羅紋海燕回る(かえる) 柳條恨みを牽いて荊台に到る 徒に朽木の柳 時を得て」と、漢詩を謡うので何となく中華風に感じます。

その後、舞台進行はワキとの問答となり、仏の教えが焦点になって和風となりますが、サシ謡の貨狄が柳の葉に乗る蜘蛛を見て船を発明した故事や玄宗皇帝と楊貴妃で有名な華清宮に柳を植えた唐の話で中華風となり、クセ(曲)では蹴鞠や源氏物語の話で和風に戻り、と次々に入れ替わる作風です。報謝の舞(序之舞)を舞い最後のキリの場面では、和と中華が混ざり合って終わります。『西行桜』と『遊行柳』を食べ物に例えるのは老木の精に失礼かもしれませんが、素朴な「もり蕎麦」が『西行桜』であれば『遊行柳』は「もり蕎麦特別定食」ではないでしょうか。半ラーメンや半炒飯が付いてくるようなてんこ盛り、純粋和風な蕎麦を味わう感覚ではないように思います。
柳という植物自体、日本独自のものもあれば大陸から入ってきた品種もあるようですので、信光は、敢えて特別定食に拘ったのかもしれません。

『遊行柳』はストーリーを追う面白さより、柳の故事や挿話をまるでパッチワークのように貼り付け、部分部分の面白さで盛り上げる手法をとっています。それは死を前にした信光の世阿弥への挑戦でもあり、また自身への総まとめであったのかもしれません。
私も演能レポートを書き続けていますが、以前『野宮』の演能レポートを書いたときに、感じたことをすべて書き残しておきたい、という思いに駆られたことがありました。
信光の何でも詰め込んでおきたいという気持ち、分からないでもないのです。

ここで、私の演能での拘り二点をご紹介します。
まずは、都の花盛り、大宮人が遊ぶ姿が優雅に描かれるところです。
「大宮人の御遊にも、蹴鞠の庭の面、四本の木陰、枝垂れて、暮れに数ある、沓の音」
(大宮人が蹴鞠で遊ぶ時は、桜・楓・松、そして枝が長く垂れ下がった柳の4本の木陰の庭から、夕方になると賑やかに鞠を蹴る沓の音が聞こえてくる)
この地謡に合わせて柳の精が鞠を蹴る型が一つの見せ場です。両手を少し上げて鞠を蹴ると、鞠は右上に飛び出し、それを見上げると、途端にクルリと一回転して次に鞠の落ちる音を足拍子で表現します。もちろん、実際に鞠が飛んで落ちるわけではありませんので、ここはご覧になる方に想像していただくことになります。

もう一つは、その後の「手飼いの虎の・・・」で、源氏物語の柏木が女三宮の姿を垣間見てしまう場面の描写のところです。
「手飼いの虎の引綱も 長き思いに楢の葉の その柏木の及び無き」と、両手で綱を引くように下に目を落として右へ回り、正面に向き直すと、やがて「恋路も由無しや・・・」と弱々しい足拍子の型となります。

ここに、忘れられない亡父菊生よりの教えがあります。
「明生、手飼いの虎は猫だよ。六条院で蹴鞠があった時、女三宮が飼っていた猫が御簾の内から逃げ出すと、猫の綱で御簾が引き上がり、柏木が女三宮の姿を見てしまうんだ。それから柏木は恋に落ちるんだよ。だから引綱の手は猫が走り回っているように見せるために、高めに構える。また老体ながら“その柏木”の謡に合わせて正面にキリッと振り向きちょっと若さを出すんだよ。ロマンチックにね」と。

『西行桜』も『遊行柳』も樹木の「精」が主人公(シテ)です。「精」とは「人間以外のものに潜んでいる魂」、『遊行柳』の柳の精は、老いても不思議な力を持つ柳の魂です。能のシテには神、霊、精などがありますが、「神」は神、「霊」は死後の世界から現れ、死が介在します。「精」に死は介在しません。精は神や霊とは違うことを遅まきながら知り、精の演じ方が少し分かってきました。
これは、もうすぐ70歳になる明生爺に、柳の精からのバースデープレゼントだったのかもしれません。

装束については、『西行桜』も『遊行柳』も共に、白髪を垂らし、烏帽子を被り、狩衣を着て大口袴を穿く、神さびた風体です。老木の精の面は「石王尉(いしおうじょう)」が喜多流のお決まりですが、以前勤めた『西行桜』と装束が全く同じですので、今回はあえて、面を「皺尉」に替えてみました。少し笑みがあるように見える「皺尉」の方が、十念を得て喜び、報謝の舞を舞う姿に似合います。
同じ老木の精でも、『西行桜』は硬派爺さんですから石王尉、『遊行柳』は笑みのある皺尉で軟派爺さん、というのが明生風解釈です。
「皺尉」の使用については友枝昭世宗家預かりに相談しお許しを得ての演能でしたが、ご覧になった方からはまずまずの評価だったので安堵しています。

『遊行柳』は信光の人生のすべてを注ぎ込んだ作風になっています。
舞台の最後は「柳條を綰ぬ(わがぬ)」(別れに際し、柳條を輪にして贈る中国の風習)のために枝を落とし、風に吹かれ、足もよろよろと本当の朽木になって消えていく、自分も老いて消えていく、と信光の心境を語っているかのようです。

そんなことを感じるのは、私も70歳、老いを意識する年頃になったからでしょうか。
父菊生の『遊行柳』の演能記録を調べましたら、初演が昭和59年喜多例会で62歳、次に平成3年MOA美術館の能楽公演が69歳、最後は平成7年国立能楽堂定例公演で73歳、3回勤めていました。『西行桜』は観世寿夫師の最後の舞台であったことや田中幾之助師のことが気になっていたようで、一度も勤めておりません。
私自身は『遊行柳』に挑むのが遅かった、と反省もありましたが、やはり年相応の人生観なくしては勤められない曲であると柳の精が教えてくれました。

演能レポートは、あまり多くは書かず、凝縮して書き残したい、と思っていますが、今回は、てんこ盛りとなってしまいました。

(2025年10月 記)
写真撮影 新宮夕海

『西行桜』の演能レポートはこちら↓

『西行桜』を勤めて ー西行に会いたかった桜の精ー

202509自主公演投稿日:2025-09-05


謡が身につくということ投稿日:2018-06-07

観世寿夫賞を受賞して 粟谷 能夫投稿日:2018-06-07

「より上るは四十以来」投稿日:2018-06-07

『船弁慶』について   新時代を切り拓いた信光の工夫 粟谷 明生投稿日:2018-06-07

我流『年来稽古条々』(27)投稿日:2018-06-07

我流『年来稽古条々』( 33 ) ?研究公演以降・その十一? 『葛城』 『望月』について投稿日:2018-06-07

新「粟谷能の会通信」新設のお知らせ投稿日:2018-06-07

新「粟谷能の会通信」新設のお知らせ

粟谷能の会メール会員を対象に公演などの情報をメールでご案内して参りました「粟谷能の会通信」を、この度、粟谷能の会のホームページでご覧頂けるようにいたしました。
平成23年6月号から、月毎の更新を目標に、粟谷家に関わる演能情報、鑑賞の手引き、見どころなどをご案内いたします。
お試し版として、創刊号を公開しましたので、ご意見やご要望などございましたら、お気軽にお知らせ頂きたくお願い申し上げます。
より良い「粟谷能の会通信」を更新してまいりたいと思います。
ご意見は下記まで
akio@awaya-noh.com

「粟谷家蔵能面選」刊行に向けて投稿日:2018-06-07

「粟谷能の会通信 創刊テスト号」《5月の喜多流自主公演のご案内》投稿日:2018-06-07

@@@@ 「粟谷能の会通信 創刊テスト号」 @@@@
《5月の喜多流自主公演のご案内》
日時:5月22日(日)12時開演
場所:喜多能楽堂
演目:『橋弁慶』シテ・内田安信 『湯谷』シテ・高林呻二 『船橋』シテ・粟谷能夫
料金:一般前売自由席6,000円 学生前売2,500円 指定席料2,500円
配役など詳細はこちら:
http://www.kita-noh.com/schedule/koen/852/
番組表がダウンロードできます。
チケット申し込み先
http://atelier19.moo.jp/nohcgi/

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今号は、粟谷能夫が勤めます『船橋』 をご紹介いたします。
能『船橋(ふなばし)』
あらすじ:三熊野の山伏(ワキ)が上野国・佐野の山路に赴くと、里男(シテ)と里女(シテ連)が現れ、橋の建立の勧進を勧める。山伏が橋はいつ頃から出来たか聞くと、万葉集の歌「東路の佐野の船橋取り放し」を引いて答える。山伏は「取り放し」と「鳥は無し」のどちらが本説かを問うと、男は云われを語り始める。昔、川を隔てて住む男女がこの船橋を恋の通路にしていたが、それを快く思わない二親が、橋板をはずしたため、夜這いする二人は川に落ちて三途に沈み果てた。その妄執で地獄の氷に閉じられて浮かぶことも出来ない、と語り、実は我々がその二人であると明かし、山伏に弔いを頼み、姿を消す。
<中入>
山伏が祈祷すると、男女の霊が現れ、男は地獄の苦しみを訴え、懺悔の為に昔通い慣れた船橋を渡り、女に逢いに行く様子を再現して見せる。そして最後に山伏の法力で成仏が出来たことを喜び、再び消え失せる。
(詳しい詞章はここをクリック。※ただし喜多流の謡本に拠っています)

ひと言:
船橋というのは、その名のとおり川に船を浮かべ板で繋いで作った橋です。
このお能では悲しい恋の末路と、後場では執心の鬼となって現れる里男、その成仏を物語の軸としています。この能の根元となっている万葉集の歌(巻第十四・東歌)
《かみつけの さののふなはし とりはなし おやはさくれど わはさかるがへ》は、
親は離そうとするが、私たちは離れない、といった歌です。
詞章を見て頂ければお判りのように、前場で里男(前シテ)は《とりはなし》の説明を《取り放し》のみ語り退場し中入りとなります。そのとき「佐野の船橋鳥は無し、鐘こそ響け夕暮れの・・・」と地謡が情景を謡うばかりです。
では、《鳥は無し》はどうなっているのでしょう。実は中入り中にアイが説明してくれます。
どういうことかというと、二人が川に落ちた後、娘の親は娘の遺体を捜そうとします。
ある人から鶏を船に乗せると、娘の沈んでいるところで鳴くと聞いた親は鶏を捜しますが、どこにも見つからず、それで《鳥は無し》とも云う、ということです。

後場の見どころは、男の幽霊として現れる後シテが、女(ツレ)に逢いに行く様、また橋を踏み外し河に落ち行く様を、カケリと動きの多い型で表現するところです。

また今回は粟谷明生が自主公演初の地頭を勤めます。上州の情景や演者の気持ちを代弁するよう心掛けて謡いたい、意気込んでおります。

能用語紹介コーナー ⇒ ⇒ ⇒
 「カケリ(翔)」
後場でシテはカケリを舞います。但し、これは舞、というよりは、動きといったものです。
カケリは修羅物や狂女物などでよく見るもので、修羅道の苦しみであったり、物狂の心の動揺などを表す短い動きです。
一言にカケリといっても、その曲ごとに様々にニュアンスが違います。
ご覧になる際に、「何か動いてるな」ではなく「どういう描写なのかな」と少しだけ考えていただけると、一層舞台をお楽しみいただけると思います。

『葛城』について    小書「古式の神楽」を再考する投稿日:2018-06-07

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我流『年来稽古条々』( 34 )   ?研究公演以降・その十二?     『道成寺』 『忠度』について投稿日:2018-06-07

囃子方の床几投稿日:2018-06-07

解能新書 囃子方の床几

能の囃子方は笛、小鼓、大鼓、曲により太鼓が入ると4人になります。

舞囃子の時でも能の時でも、笛と太鼓は常に正座していますが、小鼓と大鼓は能の時には床几に腰掛けます。

この床几の姿勢、腰掛けるから長時間正座するより、足が痺れないで楽かと思われるかもしれませんが、そうではありません。

実は長時間腰掛けて、背筋を伸ばし緊張感ある姿勢を保つことは、体力が要りきついものなのです。

では何故、中の二人だけが腰掛けるのでしょうか?

「あれはトーテンポールのようなもの」と囃子方の先生が教えて下さいました。
舞台の橋掛りは現在、正面の鏡板を見て左側にありますが、その昔は右側にも、そして真後ろにもありました。

シテが真後ろから登場するとき、囃子方が下に座っていると、面を付けて視界の狭いシテは囃子方にぶつかる恐れがあります。
そこで、シテが安心して本舞台に入れるようにと、小鼓と大鼓が目印の役目として床几にかけました。

後見が大小前に置かれた作物で作業をするとき、また物着をするときに、小鼓と大鼓の間を行き来しても、小鼓と大鼓の方からは怒られませんが、笛と小鼓や大鼓と太鼓の間を通るようなことをしたら、怒鳴られます。

「そこを通るんじゃない!」なんて、よく能楽師の卵が怒られた光景を思い出しますが、いま立派な能楽師の先生方も、昔、子どものころは、いろいろな先輩に怒られながら成長しているのです。

こんな裏話も知って能をご覧になるのも、面白いかもしれませんね。

囃子方絵 小学館「能楽入門3」より 
床几 2枚 撮影 粟谷明生

いにしえの「頼政」専用面 粟谷 能夫投稿日:2018-06-07

阿吽16投稿日:2018-06-07

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我流『年来稽古条々』( 35 )?研究公演以降・その十三?『清経』 『紅葉狩』について投稿日:2018-06-07

阿吽17投稿日:2018-06-07

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投稿日:2018-06-07

阿吽19投稿日:2018-06-07

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我流『年来稽古条々』( 36 ) ?研究公演以降・その十四? 『三輪』 『正尊』、そして 『安宅』投稿日:2018-06-07

阿吽20投稿日:2018-06-07

粟谷能の会通信

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能の無常と永遠 粟谷能夫投稿日:2018-06-07

阿吽21投稿日:2018-06-07

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我流『年来稽古条々』( 37 )?研究公演以降・その十五?『白田村』 『融』について投稿日:2018-06-07

阿吽22目次投稿日:2018-06-07

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四季投稿日:2018-06-07

阿吽23投稿日:2018-06-07

粟谷能の会通信

uJ\??MQSNSv投稿日:2018-06-07

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我流『年来稽古条々』( 38 )?研究公演以降・その十六?『伯母捨』 『石橋』について投稿日:2018-06-07

阿吽24投稿日:2018-06-07

能と歩む人生の四季 粟谷 能夫投稿日:2018-06-07

『安宅』?? 延年之舞について 投稿日:2018-06-07

我流『年来稽古条々』( 32 ) ?研究公演以降・その十? 『隅田川』 『船弁慶』について投稿日:2018-06-07