『伯母捨』を勤めて 最高位の老女物を私らしく投稿日:2026-03-17

『伯母捨』を勤めて
最高位の老女物を私らしく
「第108回粟谷能の会」(令和8年3月1日 於:国立能楽堂)で能『伯母捨』を勤めました。喜多流の老女物は現行では『檜垣』と『伯母捨』の2曲です。『伯母捨』は文化9年以来、永らく途絶えておりましたが、亡父粟谷菊生が平成6年、「第56回粟谷能の会」に於いて、180年ぶりに復曲いたしました。その後、諸先輩方が勤められ、私は9人目となります。能楽師にとって、最高位である老女物『伯母捨』を披くことが出来、とても光栄に思っています。
能『伯母捨』は「我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」の歌に触発されて作られました。もちろん、姨捨伝説をもとにしていますが、深沢七郎著の『楢山節考』の老人遺棄の生な悲劇を想像されますと、能は全く異なります。山に捨てられる悲惨な物語は狂言方の間語り(アイがたり)に委ね、能自体は、年老いて山に捨てられた老女の霊が中秋の名月のもとに現れ、月を愛で、静かに舞に興じるというものです。
「月の光のように澄んだ気持ちで舞え」という教えがあると五十六世梅若六郎(桜雪)師は「能百舞台」に書かれていますが、そのあたりが最奥義と言われる所以ではないでしょうか。
今から2年ほど前に、大鼓の亀井広忠氏に「『伯母捨』を演られては、いかがですか?」と言われても、「いやぁ、気乗りがしないなぁ」と、答えていたのですが、「お父様の菊生先生が復曲された『伯母捨』ですよ、息子さんの明生さんは演られた方がいいですよ」と、背中を押してくれました。父が復曲したのは72歳のとき、友枝昭世師は64歳、従兄の粟谷能夫は68歳で披いています。70歳ならば披いてもいい年齢かもしれないと、決心がつきました。
亡父菊生は180年ぶり、喜多流として何の資料もないところの復曲でした。
菊生から聞いた話ですが、15世喜多実宗家は宝生弥一先生をお相手に一度『伯母捨』の稽古能をなさいましたが、終わった後に「菊生君、『伯母捨』はあまり面白くないね」と話されたそうです。そのため二度と『伯母捨』に携わる事がなかったので、『伯母捨』の資料は我が家の9世喜多七大夫古能健忘斎からの教えを書き留めた伝書しかありませんでした。
そこで父は『伯母捨』(観世流では『姨捨』)を披くに当たり、親交の深い8世観世銕之亟(静夫)先生にいろいろとご相談に乗っていただきました。演能のビデオを観せていただきながら、「ここはこのようにしたかった・・・」などと話し合ったようです。父も銕之亟先生も野村四郎先生も「プロの能楽師同士なら舞台の動画を見せ合い、刺激を受けて、より良い舞台人になれば良い」、と仰っていました。私も同感です。今回、先輩方の動画を拝見して、いろいろと細かなところまで観て研究出来たのは、今だからです。また、出演して下さる囃子方にも父の動画を見ていただき、改善したい箇所、私の気持ちなどを伝えました。最高位の『伯母捨』への挑戦はこのようにして始まりました。
まずは、『伯母捨』のあらすじを記しておきます。
中秋の名月の日が近くなったある秋の日、都の者(ワキ・ワキツレ)が信濃の姨捨山にやってきます。そこに現れた里の女(前シテ)に有名な姨捨の場所はどこかと尋ねると、「我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」という歌を詠んだ人の亡き跡ならばこのあたりだと教えます。やがて里女は、夜半に月と共に現れて旅人の月見の宴を慰めましょうと約束して姿を消します。(中入)
都の者が待っていると、年老いて山に捨てられ老女の霊(後シテ)が現れ、中秋の名月のもと、月に照らされ、月を愛で、月の美しさを讃え、月に因む仏説を語り、月の光の下に昔を偲んで静かに舞に興じます。いつしか夜も白々と明け、旅人の帰った後に、老女は独り寂しく残されるのでした。
この能、喜多流では『伯母捨』ですが、観世流では『姨捨』です。舞台は姨捨山、姨捨伝説をもとにした曲なので、曲名は『姨捨』でもいいようなものですが、喜多流はなぜ『伯母捨』としたのでしょうか。次の間狂言の語りがヒントになりそうです。
「更級の里に住む夫婦の夫は、幼い頃に親を亡くし、伯母が我が子のように育てました。その伯母が歳を重ね白髪の盲目となりました。妻は伯母を山に捨てるように夫に言います。夫は世話になった伯母を捨てられないと拒みますが、妻は日夜、夫を攻め続け、ついに夫は、妻にひかるるは夫の習い、と思い、伯母を背負い、寺の尊い阿弥陀様を拝みに行こうと、山に登ります。・・・・」、そして伯母は捨てられ、それからここを姨捨山と言われるようになった、と語ります。この「伯母」の話から喜多流の曲名が『伯母捨』となったのではないでしょうか。
お能は実際このような悲しい物語をそのままに描きませんが、背景としての間語りはまさに聞き所です。
さて、先人の『伯母捨』に地謡で参加し、今その動画をいくつか拝見していて、謡も舞も囃子もすべてがゆったり、ゆっくりとスピードが遅く、鈍重な感じを強く受けました。父の復曲の時に地謡で謡っていて、老女物とは随分と運び(ノリ)の悪い、妙に馬鹿丁寧な、慎重過ぎる謡い方に違和感を持ったことを忘れません。演能時間は2時間45分ほどと長く、それ以後もっと長い時もあったようです。老女物で最高位であるから厳かにゆったりと演じるのが当然、演能時間の長いのは仕方がないと、演じる側が押し切り、観る側もそれに応えて、ごもっともと頭を下げていたのではないでしょうか。しかし、今当時を振り返ると、何も分からず、経験も浅かったためにあのようになったのであって、あれが正解ではなかったと思うのです。実際、粟谷能夫の『伯母捨』の地頭友枝昭世師はさらりと謡われていました。私の『伯母捨』はこれまでの数回の経験を活かし、全体にさらりとした進行を心掛け、演能時間は2時間ほどを目標に、時間短縮に挑みました。勿論、詞章を削るのではなく、能の味わいも損なわずに、ご覧になられた方々から、「あれ? もう終わったの」「知らぬ間に終わっていた」と言っていただけたら、私の挑戦は成功したと言えるでしょう。今に似合う、私の理想とする、粟谷明生・現代版『伯母捨』への挑戦でした。
『伯母捨』という能はいわゆる夢幻能です。夢幻能は、前場で死者が仮の姿(前シテ)で現れ、後場で、ワキの僧の夢の中に本来の姿・霊(後シテ)として現れ、救いを求めるのが基本的な構成です。ところが『伯母捨』はワキが僧ではなく都の者であり、シテも救いを求めないので、夢幻能としては特異です。また序の舞で太鼓が入るのも、最後にシテが独り舞台に残されるのも異例で、まさに異例尽くしです。
恨みもなく救いを求める訳でもなく、名月を愛で名月と共に遊ぶ老女の執心、それは何だったのでしょうか。私は執心というほどではないにしても、ただ一つ心残りがあるとすれば、姨捨山から眺めた綺麗な中秋の名月、それがどうしてもまた見たい、というもので、素晴らしい月景色が忘れられなくて、老女は何処からともなく現れてしまうのだ、と思いました。ただそれだけなのです。そう思った途端、腑に落ちて気が軽くなり、なんだか老女物『伯母捨』がふっと身近に感じられるようになりました。
では、能の時系列にそってレポートしていきましょう。
まずは最初のアシラヒ笛です。普通の能では「日吉(ヒシギ)」の、ヒーッという高く強い音から始まりますが、『伯母捨』は違います。ふわーっと、かすれたような非常にしんみりした音色で、姨捨山の寂しい秋を演出します。これで思い出すのは父の時の一噌仙幸先生が吹かれたアシラヒ笛です。その音色は秋の夜の中秋の名月を想像し、またこれから始まる秘曲『伯母捨』の位取り、雰囲気作りに効果満点でした。私はその時39歳、地謡の前列で初めて聞いて驚きました。国立能楽堂の舞台と見所の空気が一瞬キュッと引き締まったあの衝撃的な瞬間を忘れることが出来ません。あの貴重な体験、あの音色は今も心に響いていますので、今回、笛の松田弘之氏に仙幸先生の音源を聴いていただき、似たような感じで吹いていただきたいと、わがままなご無理をお願いしました。松田様は嫌な顔をなさらず、笑みを浮かべてうなずいて下さいました。すると、当日の音色はまさにそれで、私の『伯母捨』は私好みで始まりました。
次にワキとワキツレが登場します。いろいろな名所を巡り、姨捨山の月を楽しみに現れますが、ワキだけが笠を深く被っています。福王流は笠を被りませんが、下掛宝生流は素袍姿の旅姿で笠を被って登場します。ワキを勤める宝生常三氏に尋ねると、「老女を捨てた所縁の者であるから素性を隠す、そんな気持ちで僕は勤めたい」と、話してくれました。捨てた側の縁者なら、月見の楽しみと共に姨捨山のその後も気になり、後ろめたさもあって身を隠そうと笠を被る・・・、なるほど、いろいろと想像が出来るのが能の面白さでもあります。
前場は、里女が都の者に姨捨の場所と月景色の素晴らしさを教えるだけの内容です。とてもシンプルで比較的分かりやすい内容です。里女が実は六条御息所のような高貴な人ではなく、どこにでもいる普通のおばちゃんの設定です。ですから最高位の老女物であるからと、敢えて厳かに重たくする必要は無く、ワキにも地謡、囃子方にもあらかじめ説明納得していただき、さらりと軽やかに進めていただきました。
中入の後の間狂言の内容については先に述べましたが、ここも狂言方の野村萬斎氏にお願いして位を崩さずにさらりと語っていただきました。
後場の出囃子には二通りのやり方があります。笛・小鼓・大鼓だけで奏す「一声(いっせい)」と太鼓が加わる「出端(では)」ですが、喜多流ではどちらを選択するかはシテの自由です。父の復曲の時は「惣ちゃん(二十二代・金春惣右衛門国長)が打ってくれるならば、是非出端でやりたい!」とお願いして「出端」でした。あの時の出端や序の舞の太鼓の音色と位取りの素晴らしさは、今でも私の脳裏に鳴り響き、出端への憧れもあるので、最初から出端と決めていました。
伝書に「出端または一声にて」とあり、その後に「太鼓によるべし」と一言が付け加えてあります。つまり、どちらでも良いが、「上手い太鼓打ちがいるならば出端にすると良い」と、解釈できます。今回の太鼓は私が今一番信頼出来る小寺真佐人氏にお願いしました。小寺氏とは「出端ですか?」に「そう」との会話から始まり、金春惣右衛門先生の動画も観ていただきました。伝書をお見せした甲斐もあり、お互い心が通じる舞台が出来たことを喜んでいます。
出端は「掛」「初段」「二段」の3ブロックで構成され、正式にはシテが登場するのは「二段」のところです。老女の歩みはゆっくりですので出端の位(スピード)もゆっくり、しかも常座での謡い出しですので、それまでに大変長い時間がかかります。演者も観る側もダレ気味になる箇所です。このダレを避けたく、今回は大胆に最初の「掛」で幕を上げて登場し、三の松前にて一旦止まり、休息して月を眺めるような風情を感じていただき、それから一の松へ歩み、一の松前にて謡い出す特別演出としました。
最近、私が体得した老いの表現技法は「囃子方には従来の位より少し早めて囃していただき、シテがその位(速度)に追いついていけないジレンマにより、老いた身体の不自由さを創る」というもので、お囃子方にこのことを話し了解を得ました。この場面、当日はほどよい位で勤められて満足しています。
シテが登場すると月の美しさを賛美し、そして曲(クセ)ではやや宗教的な月の功徳が謡われます。「日、月、星の三光が、天を西に廻るのは、生きるものを西方浄土に導こうとするため」「月は阿弥陀如来の右の脇侍で、仏に縁ある者を導き、重い罪を軽くしてくださいます」「無上の力を備えているので大勢至菩薩とも言われています」と老女のおしゃべりを地謡が代わって謡う風情です。さらに、極楽浄土の美しさや、「勢至菩薩の光はすべてを隈なく照らすので無辺光と名づけられています」などと続けます。ここは舞グセ(地謡の謡を聞きながらシテが舞う)で、老女は謡を聞きながら、西の空を見上げたり、左右に袖を広げたり、動きは少ないですが、老いても清浄感溢れる天女のような気持ちで勤めました。
そしてクセの最後の「或る時は影満ち、又或る時は影缺くる・・・」です。父が復曲の際、動画を見て銕之亟先生と語り合った時、先生が「こうではなく、こうしたかった」と心残りを話されたところです。私はこの有為転変の月の満ち欠けを、老女はまず右上の雲がかかっていない月を見上げ、次に右手に持つ中啓(扇)を雲に見立て、右手をゆっくり上げて、月が雲によって隠れ欠けていく様を演じ、同時に老女の顔(能面)の向きを微妙に変えていきました。ご覧になる方の目に、面の陰影が感じられたら最高の出来なのですが・・・。
ここがクセの大事な肝のように思えます。地謡も囃子方も、こここそはゆっくり丁寧に謡い囃していただき、とても気持ち良かったです。
銕之亟先生の心残りが何であったかは藪の中、今となっては知る由もありませんが、私は私なりの考察で、心を込めて舞ったことを記しておきます。
クセが終わるとシテの「昔恋しき夜遊の袖」の謡が入り、いよいよ序の舞となります。その前の舞グセが地謡を聞きながら舞うのに対して、序の舞は囃子方の掛け声と音色に合わせて舞い、謡はありません。謡が入らない舞は抽象的で、無機質、感情のない動きになる危険を持ち合わせていますが、こここそ能でしか味わえない時間です。特に序の舞は能にしか出来ない表現方法です。しかも太鼓が入る老女物の序の舞は大変特異なものです。
シテの喜びと報謝の気持ちが観客に伝わるように舞えれば及第ですが、さてどうでしたでしょうか。
舞っている途中、じいっと空を見上げ月を眺める休息の型があります。この型を観世流では「弄月(ろうげつ)」と呼び、老女は座って扇をかざし月を眺め楽しみます。
我が家の伝書には立ったまま月を眺めるようにとあり、「空立(そらだち)」と書き添えてあります。この「空立」の箇所を金春流の太鼓方は静かに静かに、時を刻むように打ち続けますが、観世流の太鼓方は途中、打つのをやめてしまいます。太鼓が打たない箇所は大鼓と小鼓が笛の音に合わせて囃しますが、それまで静かにリズムに乗って打っていた太鼓が消えることで、まるで、時が止まったような不思議な感覚になります。そして老女が空を見上げ、月に見入っていると、また再び太鼓が打ち始め、老女はその音に呼応し次第に月に引き込まれるように動き出します。その後も老体ながら時を楽しむように舞うのです。
今回の太鼓・小寺真佐人氏は観世流、この彩のある太鼓を見事に打ってくれました。観世流の太鼓の「空立」はとても印象に残る素晴らしい演出と思っています。まさに「太鼓によるべし」です。
序の舞で老女の霊はゆったり舞いますが、通常の足拍子は老いた身では踏めません。舞の途中で膝を曲げ腰を少し落とす動作がありますが、これは足拍子を踏もうと試みても体力が無く足が上がらない老いの表現です。この老いの苦心、私も70歳になり、だんだん体が言うことを聞いてくれなくなると、なるほどと分かるのは嬉しくもあり悲しくもありですが、改めて能の面白い演出だと感心します。
序の舞が終わると、老女の霊は「我が心慰めかねつ」と和歌を謡い、「かえせやかえせ昔の秋を、恋しきは昔、偲ばしきは秋よ友よ」と、謡ったかと思うと、あっという間に夜が明けて旅人は去ってしまい、老女はその場に独り残されます。夢幻能では通常、シテはワキの夢の中で消え退場し、ワキの僧や旅人が後に残りますが、『伯母捨』は逆です。しかも、旅人を見送った後に、シテは大小前に立ち尽くして、映画の最後のナレーションのように、老女自らが「独り捨てられて老女が」と謡います。今回は敢えて寂しさを強調するために甲高く謡ってみました。老いの悲鳴のように。
舞を楽しみながら、ようやく老女の本音が出て来て、心の内の叫びが始まるかと思うと、突然幕が下りて断ち切られ、荒涼とした姨捨山に、老女を独り残してしまう演出。
月光に照らされ、昔を懐かしみ謡い舞う清浄な老女の姿を、綺麗にオブラートに包んだように描きながらも、最後は周りの人から遠く離され、やがてただ独り、あちらの世界に迎えられていくのだと・・・、それはあたかも人間の最期のようでもあります。
このような特異な終わり方を、作者金春禅竹は練りに練って、考えに考え、逆転の発想で創り上げたのではないでしょうか。ゆえに傑作なのだと、演じ終えてつくづく感じました。
我が師、友枝昭世師は地謡の「姨捨山となりにけり」で片膝にて座り終曲していますが、今回は菊生や能夫のように伝書通り、地謡が謡い終わった後に囃子方だけが囃す「残り止め」という特別演出でいたしました。お囃子に合わせて、老女が立ち上がり留め拍子を踏むかのように足をそろえる型は、まさに能の様式を意識した能らしい終曲方法です。
もの寂しいアシラヒ笛で始まり、最後はまた囃子方のかけ声と音色で終わる、私好みの『伯母捨』となりました。
最後に、後シテの面は伝書には「老女」とありますが、亡父菊生も従兄の能夫も、観世銕之丞家より名作「姥」(洞白打)を拝借しておりますので、私も拝借して勤めました。
装束は白色の長絹と浅黄色の大口袴を観世銕之丞家より拝借いたしました。ごく薄い緑の浅黄色は白に近い色合いでした。長絹も袴も白色一色に統一するのも良いかと考えましたが、袴に少し色があった方がより良い深みが出ると思い浅黄を選びました。伝書には袴は茶色吉とありますが、私には似合わない、と思い外しました。
また、面紐は伝書に記載はありませんが、謡本には茶色とあります。今回、白色面紐を紅茶で染めると、良い感じの薄茶になりました。これが普通の尉にも使用出来そうなほどよい色加減になり喜んでいます。
最初に、今に似合う現代版『伯母捨』を手がけたいと述べました。そのために囃子方にもワキ方、狂言方にも、もちろん地謡陣にも、動画を見てもらい、私の気持ちを伝えました。
最初は戸惑いながらも、皆さんが心を一つにして、この大曲に取り組んでくださったこと、感謝してもしきれません。これまで2時間40~50分余もかかっていた『伯母捨』を2時間8分で仕上げることが出来ました事を、ここにしっかりと書き留めておきたいと思います。ご覧になった方々のご感想に、あっという間終わってしまいました、とのお声を聞いて、明生風『伯母捨』が出来た、と安堵しています。
私も古稀になり、加齢は昔の思い出の嵩を増してくれます。主人公の老女の昔を懐かしみ謡い舞う気持ちがようやく分かってきました。死を身近に感じられるようにもなってきたのも『伯母捨』を勤めるのにちょうど良い時だったかな、としみじみと感じています。
ビートルズの「レットイットビー」ではないですが、「あるがままに、なすがままに」の境地です。人間の最期の姿もそのようなものかもしれません。
私の名前「明生」は喜多流15世宗家喜多実先生が、中秋の名月の頃生まれたことから付けてくださいました。それから70年、中秋の名月をテーマにした秘曲『伯母捨』を勤めることができたのは、私を育ててくれた両親、私に能の面白さを教えてくれた従兄の能夫、30歳からご指導をいただいております友枝昭世師のお陰だと深く感謝しております。
囃子方はじめ出演者の皆様、支えてくださった関係者の皆様、ご覧くださった方々に感謝の気持ちを捧げたいと思います。
老女物はあと『檜垣』があります。父菊生は「弟子家は、二老女の内どちらかが勤められたら、もう本望だよ。『伯母捨』を復曲し、『檜垣』は友枝喜久夫先生の地頭を勤めたからもう充分」と言っておりました。私も同じです。これからは再演が多くなりますが、より深く能の魅力を探る作業に専念精進したいと思っています。
(2026年3月 記)
*これまで喜多流で『伯母捨』を勤められた方々。
粟谷菊生 平成6年10月9日
大島久見 平成6年10月16日
友枝昭世(2回) 平成16年
高林白牛口二 平成24年
香川靖嗣 平成25年
内田安信 平成27年
粟谷能夫 平成29年
塩津哲生 令和3年
*今回の『伯母捨』の出演者
シテ 粟谷明生
ワキ 宝生常三
ワキツレ 舘田善博 梅村昌功
アイ 野村萬斎
笛 松田弘之
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 亀井広忠
太鼓 小寺真佐人
主後見 友枝昭世
後見 中村邦生 友枝雄人
地頭 長島 茂
狩野了一
金子敬一郎
粟谷充雄
内田成信
佐々木多門
大島輝久
佐藤 陽
写真提供 新宮夕海 吉越 研





























