『氷室』白頭を勤めて

『氷室』白頭を勤めて
コロナ下で能の美意識を思う

粟谷 明生

今年(令和2年)3月以来、新型コロナウィルス感染症による自粛要請で、能だけでなく、音楽、映画、演劇などの芸能活動が軒並み中止に追い込まれました。国立能楽堂での公演も6月まですべて中止、7月から感染予防対策を講じて再開されることとなり、私はその第1回目として定例公演で、能『氷室』を勤めました。私としては、3月の粟谷能の会の『朝長』以来、実に4か月ぶり、久しぶりに舞台に立てた喜びを感じています。

舞台を勤める仲間も、久しぶりに会えて笑顔をかわし、全員が揃って舞台を創り上げる喜びをかみしめていました。一人の代演もなく、予定された出演者で気持ちを合わせ、舞台を無事勤められて、気持ちよいスタートがきれたことを嬉しく思っています。


当初、7月の公演も出来るかどうか危ぶまれ、実施するとしても、ソーシャル・ディスタンスを保つために観客は100人ぐらい、と聞かされましたが、その後、100人が300人となり、国立能楽堂の全客数のおよそ半分で公演ができることとなりました。当日の客席は前後左右を空け、市松模様のように座っていただきましたが、満席となり、みなさまがコロナ下にあっても駆けつけてくださったことに、ただただ感謝申し上げる次第です。


では能『氷室』ついて記します。
『氷室』は脇能に分類されますが、氷室を守る氷室明神(後シテ)の面はベシミ系で、「三日月」や「邯鄲男」などを使用する『高砂』や『弓八幡』、『養老』の神々の形相とは異なります。これは氷室明神が清浄な氷を神格化したものと考えられますが、私は液体の水から固体の氷への変貌を、強く口を結ぶ「べしむ」表情で表現しようとしたのではないか、と考えています。とにかく脇能としては特異な面の選択です。


先ずは簡単にあらすじをご紹介します。
亀山院に仕える臣下(ワキ)が丹後国の久世戸に参詣した帰途、氷室山に立ち寄ると、氷室守の老人(前シテ)と若い男(前ツレ)が現れます。老人は年々捧げる氷の謂れや氷室がこの地にあることを語り、夏でも氷が溶けないのは君徳によるものだと讃え、臣下に氷を献上する祭を見るように勧めて氷室に隠れます。<中入>
氷室明神に仕える神職(アイ)が雪乞いや雪まろめを見せると、やがて音楽と共に天女(後ツレ)が降りて舞楽を舞い、氷室明神(後シテ)が氷を持って氷室から出現します。明神は氷の威力を見せ、君に捧げる氷の守護神となり、臣下を都に送り届けます。
このような内容で、氷を守る氷室明神と夏でも氷が溶けない君徳を寿ぐ、脇能です。


『氷室』は初演でしたが、今回は小書「白頭(はくとう)」で勤めました。
「白頭」は前場に変わりはありませんが、後場の装束や面、謡い方や動きが少し変わります。
まず、頭(かしら)の毛が赤色から白色になり、装束は白色の袷狩衣となります。面は常は「小ベシミ」ですが、白頭になると老いた顔の「悪尉ベシミ」に替わります。謡い方もどっしりと速度がゆっくりとなり、動きも重々しく遅くなります。
初演は小書無しの通常の演出で勤めるのが本来ですが、私自身、白髪も増えて徐々に高齢者の仲間入りです。速い動きよりもゆったりとした動きの方が今の自分の体力に似合っているので小書「白頭」で勤めさせていただきました。
演ると、やはり冷たい氷室のイメージ、氷室を守る氷室明神を想像するとき、赤い毛の赤ら顔の形相ではなかなか難しいと思いました。小書「白頭」の演出が本来の姿ではないでしょうか。


話は前後しますが、前シテの老人は『高砂』同様、「小尉」の面をつけ装束は水衣に白大口袴、雪を掻き集める「柄振り(朳)(えぶり)」と呼ばれる小道具を持って登場します。
ワキに問われるまま、氷室の謂れや夏でも氷が溶けない君徳を語った後、「夏の日になるまで消えぬ薄氷」から始まるクセは居グセで地謡が話を進めます。


そして上羽(シテ謡)の「然れば年立つ初春の」で「柄振り」を持ち、地謡の「雪のしづりを掻き集めて、木の下水に掻き入れて、氷を重ね雪を積みて・・・」に合わせて、雪をかき集め、氷室に見立てた作り物の塚に雪を投げ込む型をします。全体に動きが少ない中で唯一、前場の見どころです。


演者にとってこの「柄振り」、実は意外と扱いにくく難儀します。「柄振り」は土の表面をならす道具で、柄の先についた横板の掻く部分(土に当たるところ)が常に下になるように持たなければなりませんが、面をつけるとこれがなかなかうまく持てません。いい位置を保つのが難しいのです。「柄振り」を使う曲は『氷室』以外にはなく、不慣れですが、今回は稽古でも本番に使う柄振りが使えたので助かりました。


今回、中入り前の地謡「薄氷を踏むと見えて」で、特別に『天鼓』の宮殿に上るときの「抜く足」の型を取り入れてみました。老人が薄氷の上を浮遊するように氷室に入る感じが出せれば、と試みてみましたが、どのようにご覧になられたでしょうか。


後シテの登場は塚の引き回しが外され、氷室明神が両手に大きな氷を持って現れます。
この氷の小道具が意外と大きく扱いにくく、稽古では何も不具合を感じませんでしたが、いざ袷狩衣を着ると重い袖が邪魔で、よりいっそう重く不自由さを感じました。


塚から出て、舞働とキリの仕舞を舞い、氷をワキに渡すと一曲も終わりです。今回は福王流のようにワキが氷を持って先に入幕する演出を下掛宝生流宗家・宝生欣哉氏のご許可を得て殿田謙吉氏に勤めていただきました。都に氷を運ぶワキを、シテは後ろで見送り見守る演出で、お客様にはわかりやすかったのではないでしょうか。


さて今回は、コロナウィルス感染下にある演能についても書き留めておきます。
まず、お客様には検温、マスク着用、消毒、などのご協力をいただき、主催者の国立能楽堂は、至る所に消毒液を置き、座席の周りに十分な空間がとれる対応をしていました。
感染予防のため、密集、密閉、密接を避ける東京都からの要請にも応え、舞台からお客様までの距離は十分空けて、飛沫感染の防止対策は万全に近い状態でした。お越しになられたお客様にご心配をおかけするようなことはありませんでした。

近頃、舞台上で地謡がマスクをしたり、互いを仕切るパーテーションを置いたり、換気のため切戸口を開け放すなどしているようですが、これはお客様に対する安全対策ではありません。これらは実は能楽師同士が感染しないためのガイドラインに沿った処置にほかなりません。我々、出演者は政治家や都庁に勤務する方々と同様、日頃から感染に気をつけて健康です。当日の楽屋入りの際には検温をし、楽屋ではマスクをして、ソーシャル・ディスタンスを保ち、万全の対策で待機していました。そしていざ舞台では、お互いを信じ、気持ちを張り詰め、よい舞台を勤めることだけを考え一致団結しました。この思いが能役者には大切で忘れてはいけない役者意識、魂でもあります。

演者が自身と隣の身を守るためにマスクをして、パーティションを置けば、当然舞台の空気は変わります。お客様はそれを見てどうお思いになるのでしょうか。能役者さんの安全も大事ですね、そんなにまでして観客に対して気をつけて下さるんですか、と好意的に受け取って下さる方もいらっしゃれば、リスクを背負って観に来ているのだから従来通りの美しい能舞台を繰り広げてほしい、と思われる方もおられるでしょう。この問題は賛否両論です。それは十分承知です。ただ私は、お越しいただいた皆様に、出来る限り従来の本物の能をご覧いただきたい一心でした。演者はマスクをしない、パーテーションも置かない、切戸口も閉める、私の思う能の美意識を損なうような演出は行わない、それを最優先にしたのです。

地謡も常の通り、二列八人で謡ってもらいました。二列八人では危険だから一列五人で、と仕方なく対応される方もおられるでしょう。それはそれで結構です。
しかし地謡は人の声の力です。二列八人を変えれば力量が変わってしまいます。
人数が減っても謡える人が揃っていればいい、とおっしゃる方のお考えもわかりますが、後列の四人が地頭を中心に、隣同士で「機(気)」を感じ息を合わせて前列の四人に声と機で伝え、その結果、八人の声が一つになって聞こえるのが地謡です。西洋音楽のようなきれいに一つにまとまる音ではなく、ゴツゴツした、いろいろな音が混ざり合い、それが一つの塊となって聞こえて来るのが良い地謡です。

歴史を訪ねれば、地謡はいろいろな形で謡われてきました。喜多流の謡本には地謡ではなく「同音」と書かれています。これはワキも一緒に謡っていた名残です。
今、地謡は二列八人が定着しています。それは年月を経て、この形が「吉」として伝わってきたからです。その能の美意識に立ち返ると、コロナ下であっても、削ってはいけない、損ねてはいけないものがあります。

今回、私のこのこだわりを演者の皆様に、もし感染が心配な方は出演をご辞退されても構わないのでお申し出てください、とあらかじめ伝えましたが、皆様、私のこだわりに賛同して下さったことを喜んでいます。

久しぶりの舞台に取り組めた喜びもあり、出演者全員がいつもよりとても気が入り、一つの塊のようになって勤めて下さって、よい舞台が出来たと確信しています。これは当たり前のことかもしれませんが、日頃忙しさの中で忘れかけていた大切なことを、コロナが再確認させてくれたように思います。

それでも、能の様式美を損なわない範囲で、東京都の要請に応える対策としてできることをいくつか試みました。できるだけ密にならないようにと、ワキとワキツレの連吟が終わると、常はワキツレは地謡前に一曲が終わるまで着座しますが、今回はすぐに切戸口から退場しました。また後場では、天女(後ツレ)も舞い終わるとそのまま、橋掛りから退場してもらいました。また、東京都からの演能時間の短縮化に応えて、すべての登場の出囃子を一部省略し演能時間を短縮しました。

3月から演能が出来ず、これだけ長期の休みは初めての経験です。舞台があることが日常だったのが、そうではない事態を突き付けられ、舞台や公演、お弟子様の稽古までが次々と中止、延期となっていく中で、今後どのように舞台を再開し、生活していくのか、と悩みました。

今回は国立能楽堂だからこそ、採算度外視してでも出来る、入場者半数でのスタートですが、一般の個人能楽師主催の会では再開へ踏み出すことが難しく、公共機関も感染を怖れて公演には前向きではない状況です。

しかし、それでは停滞どころか死滅に向かってしまいます。この苦しい状況でも、どうにか動き出さなければなりません。今、再発見したことを無駄にせず、苦しい時代を潜り抜けてきた先人たちを見習い、自分は己の能を貫ぬかねばならない、と思いを強くしているところです。

『氷室』出演者を記載しておきます。
前後シテ 粟谷明生
前シテツレ 佐藤 陽
後シテツレ 友枝雄人
ワキ 殿田謙吉
ワキツレ 則久英志
ワキツレ 野口能弘
アイ 大蔵彌太郎
アイ 吉田信海
笛 竹市 学
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 山本哲也
太鼓 桜井 均
後見 中村邦生
後見 狩野了一
地頭 長島 茂
地謡 金子敬一郎
地謡 内田成信
地謡 粟谷充雄
地謡 佐々木多門
地謡 大島輝久
地謡 友枝真也
地謡 塩津圭介
以上
                            (2020年7月 記)
写真 能『氷室』 提供 国立能楽堂