『羅生門』を勤めて


ワキ方が大活躍する
『羅生門』を勤めて

「第3回下掛宝生流能の会」(2019 年12月21日・於国立能楽堂)にて『羅生門』を勤めました。
『羅生門』はワキ方が活躍する稀曲で上演頻度が低い能です。

喜多流での『羅生門』の演能は近年では、1983年に友枝昭世師が「穂高光晴の会」で、これが私の記憶では最初で、その後に亡父 菊生が1987年65歳にて「国立能楽堂定例公演」で勤めています。二回ともワキは宝生閑師が勤められています。

今回の『羅生門』は喜多流としては32年ぶり、3回目となります。ワキは殿田謙吉氏が披かれました。ここでシテとして、貴重な機会を与えていただきまして、会主の宝生欣哉様に、厚くお礼と感謝を申し上げます。

父は65歳、私は64歳と不思議と年齢が近く、自然と父を意識してしまい、同じ面「顰」と装束を着て、父の鬼を思い出しながら、また父に負けないように、と思い勤めました。

『羅生門』は前場と後場のある複式能です。

前場は、源頼光(主ワキツレ)が先頭に立ち、平井保昌(ワキツレ)や大勢の頼光の郎党(ワキツレ)を従えて登場し、屈強の兵を想像させてくれます。ワキの渡辺綱は最後に、しんがり、として登場します。

春のひととき、綱が頼光や保昌に酌をして酒宴を楽しんでいると、保昌が羅生門に鬼が出るという噂話をはじめます。それを聞いた綱は鬼などいないと、反論し口論となり、遂には綱が羅生門に行き標(しるし)の札を置いて来ることとなります。今の夏の夜の肝試しみたいです。

後場は綱が一畳台に上がり、宮の作り物の中に札を置いて帰ろうとすると、シテ(鬼)が姿を現し、綱の兜を掴み、奪い取ります。



  
兜を持った鬼が現れると、綱に兜を投げ捨て、その後は両者の闘いとなり、腕を斬り落とされた鬼は、また来る、と叫びながら虚空に逃げ去ります。
物語はわかりやすく演能時間も50分ほどの短い演目なので、どなたでもお気軽にお楽しみいただける作品です。


この曲のシテは謡が一句も無く、しかも勤めるのは後場だけです。
後場の出番も短いため、あまり重圧を感じる事なく勤められますが、往々にしてあまり気が入らないような事もあるようで、ここはモチベーションをいかに上げて荒々しい鬼に扮するかが大事です。そして日頃ワキ方の皆様がシテにうまく対応してくださる様に、この曲こそ、シテはワキが演じやすい様にお相手する事が使命で、大事な心得だと思いました。

『羅生門』のシテには珍しく面白い演出がいくつかあります。

後場でワキは鍬形をつけた黒頭を兜と見立て登場します。
手に持つ札を宮の作り物の中に差し入れるとシテは後ろから兜を掴む型となります。

ここの型は引き回しを下ろさずに後見が掴むやり方と、シテの首元まで下ろし鬼の形相を見せ、シテ自身が掴み取る二通りが伝書に書かれています。

友枝昭世師は後見に取らせ、亡父は自身で掴んでいました。今回は父を真似てシテ自身が奪い取る型で演りました。

鬼の姿を見せて、片手でワキの兜の黒頭を掴み実際に引き千切るように奪い取ると、すぐに引き回しを引き上げ鬼は姿を隠しますが、ここは後見2人の息のあった所作が腕の見せ所で、今回とても上手くこなしていただきました。

作り物から出て台に上がり姿を見せた鬼は、持っていた兜の黒頭を実際に投げ捨てます。喜多流ではあまり投げ捨てる型はありませんが、ここは大胆に、鬼らしく投げ捨てます。

そして黒頭を捨てた鬼は一畳台より飛び降り、綱への威嚇を表す舞働となります。型は『紅葉狩』や『船弁慶』と同様で動きの寸法も変わらず、ここに敢えて工夫はしませんでした。
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最後に両者の闘いとなり、綱に斬られた鬼は遂に片腕を斬り落とされて「脇築土に上り(わきついじにのぼり)」の謡に合わせて片足で台の上がり下りをして幕に走り込み消えます。退治した綱は名を挙げた!と脇留で終わります。
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今回ワキを披かれた殿田謙吉氏は今年還暦を迎えられ、私と同年代です。亡き宝生閑師に師事されました。殿田氏とは平素から舞台をご一緒する事も多く、お互いによく話合い舞台をつくることができた、と喜んでいます。
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今回の公演が無事に終わると、さて次はいつかな? 今回頼光を勤められた尚哉さんの綱かな、それはいつだろうか・・・私はそれまで舞台生活を続けていられるだろうか・・・と思うと少し寂しくもなりますが、芸は継承される、と信じ、私自身は可能な限り芸道精進を心掛け、これからも健康な身体で舞台を勤めたいと、令和元年最後の能を勤めて思いました。
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短い『羅生門』の鬼でしたが、とても貴重な時間を過ごせた事を感謝し、良き年を迎えたいと願っています。
(令和元年12月 記)
写真提供
前島写真店 成田幸雄 1,6,
新宮夕海 2.3.4.5,7.8.9.10.11.12.13.14.15