阪大機関誌「邯鄲」への寄稿 平成20年度

「新たな試みに期待して」  粟谷明生

平成十八年十月に父が亡くなり、月日の流れるのは早いもので今年は三回忌を迎えます。阪大喜多会は創設して四十一年目、部員減少の危機を乗り越えながらも途絶えることなく活動が続いているのは、現役部員の頑張りは勿論のこと、OB・OGのあたたかい応援もあり、両者の一致団結が阪大喜多会不滅の所以であると思います。
これからも尚一層結束力を固め、末永く継続することを期待しています。きっと父もどこかで見守ってくれていることでしょう。

私が父の代わりに夏合宿だけ参加してかれこれ十年ほどが経ち、今は全面的に私が指導しております。その私の自演会も今回が三回目となります。日頃の部員の稽古の成果が充分に発揮出来るように、私も部員一同と共に夏合宿、自演会に向けて、芸道上達を心掛ける所存でいます。

阪大喜多会を振り返り思い出すことは、私が大学一年の頃、自演会のお手伝いに伺い、
当時揚げ幕の横から学生諸君の仕舞や謡を観たときのことです。
「あっ! 父にそっくりな動きだなあ、あの節は菊生節だ」と、よく似ていて、よく真似る技の巧みさに驚かされました。
これは父や先輩方の地道で丁寧な愛情が込もった教え、そしてなによりも個人の努力の賜物でしょう。

伝統芸能は反復、繰り返しが大事だと言われていますが、まさにその通り、実証していると感心したものです。
そして今、昔を思い出しながらそのよい伝統を守りつつ、更に新しい風を吹きこませてもよいのではないか、新しい試みがあってもよいのでは、と思うのです。

創立当時と今を比べると、四十名を超える部員の創立当時と、十二、三名の現在の状況では当然違いが生まれます。
この違いがありながら、昔と変わらぬ対応や稽古法をしていると、いつの日か無駄や破綻や生じるのでは、と私は予測します。

稽古法について言えば、今のメンバーに合わせた、少数精鋭のやりかたがあってしかるべきです。

例えば、部員が多く自分の稽古時間がとれなかった時代は、仕方なく深夜二、三時まで無理して起きて練習する必要があったでしょう。

しかし今、歴代の先輩方がそのようにしてきたからという習慣や形を真似て、無理して深夜の特別稽古をすることに疑問を感じます。眠たい目をこすりながら大広間で懸命に稽古する後輩、それをお酒を片手に赤ら顔の先輩が注意、指導する、それが阪大夏合宿の伝統です!といわれれば、それまでですが・・・。

私はそれよりももっと日中の稽古の効率を上げることを考え、二十四時には全員就寝し明日に備えることを提案します。
それでは注意されたことを直す時間がない、稽古不足になると思われるならば、早起きして稽古をすればよいと思いますが、いかがでしょうか。
その方が脳や身体が活発に動き効果も上がります。これは私が体験し実証済みです。

夏合宿の謡の稽古でも、例えば私が謡ったものを録音し、それを後日聴いて稽古するというやり方は、悪くはないですが、賢い手法とは思えません。
阪大喜多会は長い伝統のある会です。長い間に録音した父や私のテープは山積みされているはず、それを聞き込んで合宿に参加するのも一考ではないでしょうか。
合宿では、聴き込み、謡い込んできた謡を私が聞かせてもらい、誤りを正し些細なことでも直していく、そのようにすれば目覚ましい上達が可能になり、きっと効果も上がることでしょう。同じ足の痛さ、痺れを我慢するなら、効率よく、短い合宿期間で最大限の効果を上げるのです。

これはほんの一例です。工夫の仕方はいくらでもあるでしょう。むやみに先輩と同じことをするのではなく、新しい試みや改良、変えていく意識がこれからの阪大喜多会には必要です。
伝統、しきたりという言葉に甘えず、常に次の段階へ向上する気持ちを忘れないでほしいのです。
私の携わる能の世界も同様です。

能役者は常に向上心を持ち続けるべきです。先人の型や謡を真似ているだけでは、個人の個性ある謡と型には発展しません。
変化を求めない能・能役者にはそのダイナミズムが失われ、能は形ばかりの抜け殻状態になります。
上辺だけの真似は、猿まねで滑稽で、本来の継承とは無縁なものになります。私自身もこれらのことを肝に銘じて、精進していきたいと思っています。

最後に誤解がないように念を押しますが、改善、改良という新たな試みは、決して教えやしきたりに背くことではありません。
より良く変える、その努力を惜しんではいけない、ということです。

目新しいこと、奇抜なことの勧めではありません。
現状に満足しないで、常により良いものを目指す心、それを我々は持ち続けましょう。
能も部の活動も、そして皆さんがこれから出て行く世の中も、皆同じだと思います。
まずは部活動で、新しい挑戦をしてみて下さい。どんなアイデアがこれから飛び出すか、楽しみに期待しています。

平成20年 6月記   
粟谷明生

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