我流『年来稽古条々』(15)

我流『年来稽古条々』(15)
 青年期・その九
   『道成寺』本番、そして

粟谷 能夫
粟谷 明生

明生 『道成寺』について、もう一回、本番以降のことを話し合ってみたいと思います。まず装束と面ですが、近年通常は紅無鶴菱模様唐織で、面は「増女」ですね。

能夫 僕はそう。実先生の鶴菱唐織を拝借して、面は本来「曲見」だけれど、披きでは使いこなせないから、どうしても「増女」になるね。「増女」だと少しアンバランスになる気がするけれど・・・。金春流は「若曲見」とか「白曲見」を使っているね。僕は「泣増(なきぞう)」、これは父が僕の披きのために買ってくれたものなんだ。


明生 私も「増女」でしたが、装束は紅入蝶柄模様の唐織でした。父がこれを着ろと言ったのが印象に残っていますが、これは何か意味があったのですか。

能夫 深い意味はないと思うよ。菊生叔父が実先生に「鶴菱でなければいけないでしょうか」とお伺いを立てていたのを覚えている。実先生が「そんなことはないよ」と言ってくださったから、家にある少ない選択肢の中から蝶模様が選ばれたというわけだよ。


明生 そうですか、披きで紅入の着用は珍しいですね。その後は皆、鶴菱模様ですから。


能夫 そう決めてかかるのも変だと思うよ。本当だったらシテが自分の主張で決めるべきもので、いろいろな選択肢があった方がいいと思うけれど。そういうこともあって菊生叔父は実先生に聞いたんじゃないかな。


明生 装束もそうですが、演技においても、今みたいに自分でどの様にしようなどとは考えませんでしたね。

能夫 まあ考えないこともないけれど、自分でこう解釈してこうしたいなどということが許される状況ではなかったでしょ。実先生もいらして、もうみんな先輩たちがいるから、勝手なことはできないよ。


明生 そうですね。ただ粗相なく、つつがなくやろうということでした。『道成寺』というのはすごく資金がかかります。それを親が負担し、一門の人たちが支えてやらせてくれるわけです。だから披きではすごく親や一門の人たちの応援に感謝しましたよ。舞台に出ていく前に、新太郎伯父に「しっかりやれ」とか「ちゃんと戻ってこい」と言われるわけです。それが一番心に残っています。だから芸術性がどうとか言う前に、粗相しないで、親や一門の人たちに恥をかかせないで、とにかく無事にということがありますよね。

能夫 まあ、つつがなくだよね。


明生 そう。粗相したら恥ですよ。父や伯父たちは遠方からもお客様を呼んでいるわけでしょ。それで失敗でした、不勉強でしたではすまない。

能夫 本当にそう。まず基本は失敗なくきちんとやること。それを通過することで次のステップに行くということだよね。自分の価値を自分で見極め、その後の点数を上げていくのは自分自身だということを自覚する曲だと思うね。
 でも、つつがなくと言ったって、もちろん『道成寺』自体はそんなにおとなしい曲ではないからね。乱拍子があって、初めは鎮静していたものが、急の舞で爆発して鐘入りする。その辺の心の変化というか、対応の仕方というのは今までにないものだから。尋常なエネルギーではない、それは演じると強く感じるね。


明生 理屈だけでは絶対にできない。

能夫 そうなんだよ。乱拍子は地謡でも見ているし、いろいろなところで見ていてイメージはできている。ところが見るのとやるのとでは大違い、そういうことを発見するね。見ているときは割に単純な作業だと思うけれど、実際にやってみると、もう勘弁してよといいたくなるほどつらいし、バランスがうまくとれなかったりする。鼓との戦い、せめぎ合いも感じた。そして急激に爆発するというのが難しいね。徐々にスピードアップするならいいけど、急激に爆発するからね。そういう意味でも『道成寺』というのはすごくおもしろい題材だと思うよ。


明生 そして何といっても興奮するのが鐘入りですね。

能夫 鐘入りも流儀によっていろいろなやり方があるでしょ。以前、NHKで各流儀の違いをやったことがあるね。喜多流は目付けから鐘の下に行き、縁に片手をかけて飛び込む、観世流は鐘の下で正面を向いて、両手で縁をさわって飛び上がる感じだね。


明生 動きとしては角で鐘に向かい、左廻りしながら烏帽子を白洲に払い落とすように取って鐘を見る。私、ここまでは冷静でいられたのですが、その後はあまりはっきり覚えていません。ハッと気がつくと、鐘の中に落ちていた。

能夫 何度も稽古しているから、体は自然と動いているけれど、僕もあまり記憶がないね。終わって扇を見みると壊れていたんだ。びっくりしたね。とにかく鐘入りは孤独な戦い。実先生は、片膝ついて落ちるとおっしゃていたけれど、そうはいかないね。


明生 実際はそんなお行儀よいものではなくて、仰向けにされた蛙のような状態ですからね。そしてハッと気がついて思い出すわけです。安心している場合じゃないぞ。鐘の中での手順を手際よくやらなければと。足でも手でもいいから鐘を回せと言われたことを思い出すのです。

能夫 うちの流儀は、落とした後に再度、鐘を少し上げ、鐘を正面に向ける作業をさせるね。シテが中で失神していませんよ、ちゃんと生きていますよという証し、合図にもなる。それから僕は、習之次第というもののおもしろさも感じたね。ちょっと誘ってくるような出でしょう。


明生 幕離れでノリがグンと進んできますね。その後少し沈滞し落ち着く出で・・・。

能夫 出るときに、執心とか思いが含有されていなければいけない、その思いが幕離れの具合に現れていると思う。

明生 幕から出た後に大小鼓がコイ合、三地を打つという習之次第は、流儀では『三輪、神遊』や『卒都婆小町』『檜垣』にありますが、普通は『道成寺』で初めて体験します。幕上げの後、通常は大小鼓はノル打ち方を続けますが、習之次第では一旦沈まる特別な手組み、あの落ち着く感じが初経験になりますね。

能夫 そうなんだ。『道成寺』というのはすべてが新しく、すべてが楽しくてしようがないね。『道成寺』に携わっている時間はみんなそうだと思うけれど。いい時間だったんだな、『道成寺』に向かっているころというのは。いろいろなことを経験して、一人の人間ができ上がっていくような感じがある。稽古に向かう態度、プレッシャーに対して真剣に取り組む気構え、他の曲に向かうときとは全く違うものが確かにあったと思う・・・。
 終わったときは本当にくたびれたと感じた。しゃがみ込んでしまったよ。その夜の宴席では何も食べられなかった。あんなに消耗したことはなかったね。初めての経験でした。宴会のときにはみなさんにありがとうと言ったけど、僕はまるで抜け殻みたいだった・・・。


明生 終演後、私のときも大宴会でした。二次会もあって、他流の友人も来てくれて。無事終わったという解放感にひたりました。だからパーと飲む。

能夫 パーとね。


明生 その後はしばらく放心状態でした。二、三日して、父に友枝さんにお世話になったのだからご挨拶をしなさいと言われて、昭世さんをお招きして、能夫さんと私の三人の席を設けましたね。話題はあそこがまずかった、こうしたらよかったという反省よりも、無事に勤めて良かったということでした。これからが大事だとも言われました。『道成寺』に向けたと同じぐらいのエネルギーで、これからも励めよの言葉が印象に残っています。

能夫 『道成寺』というのは結果が出るわけじゃなくて、通過点だということだよ。それからどう枝分かれするかは、それぞれであって、『道成寺』で何をつかむか、まるでリトマス試験紙のように試されるんだ。ある時期、これだけのことを逃げ隠れなくやったという実感はある。実際、一番稽古するのが『道成寺』だからね。これは大事なことですよ。


明生 若さの限界に挑んだということですね。挑んだ分だけ手ごたえがあったと、後で感じられます。だから日々が大切だと。

能夫 いつのときも地道にやっておかないといけないということだね。

明生 『道成寺』が終わってから、能夫さんに「『道成寺』と同じくらい稽古するのが『松風』だからね」って言われました。それで『松風』をやるとき、同じくらいの時間をかけて、それだけのことがある曲だと実感しました。

能夫 自分で演じてみてそう思ったからね。『道成寺』の体験はそれらの曲への布石といえるだろうね。

(つづく)

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