能の仕掛け

能の仕掛け

粟谷能夫

黒塚 粟谷能夫 能は長い時間かけて今日のような様式をもつ芸能として作られて来ました。我々が教わってきたことは流儀の規範として大切なことですが、それが形だけの伝承では大事なものが抜け落ちてしまいます。伝承というものの根拠を理解し、また諸先輩の理解のしかたを学び、より良い表現に至ろうという努力を忘れるべきではないと思います。
 能の表現にとっての一番の基礎となる「構え」と「運び」そして「シカケ、ヒラキ」についてどれだけの人が自覚的なのでしょうか。
 具体的に言うと「構え」というのは、前に行こうという力で、両腕を前に引き上げ、肩甲骨を返す(左右の肩甲骨を引き寄せる)ことで後ろに引き戻される力を身体の中に作り、さらに肘を内側へねじることによって外へ向かう力と対峙するのです。このことで前と後、内と外に引かれ合う緊張感が生じ、ねじれという負荷をかけることで、能役者の身体の強い存在感が表現可能になります。また腰を入れる(腰椎を緊張させ腰を引き上げる)というのも「構え」の力学的中心を腰に置くことで安定した動きを得、重力に対して反発する力を生み出す身体の技法なのです。ここには拮抗する上下の力のせめぎ合いがあり、腰を入れるより腰を返すと表現した方がわかりやすいかもしれません。
 このように前後、左右、天地とあらゆる方向から引っ張り合うその中に強い存在感、緊張感のある「構え」が成り立ちます。このような力学的根拠なしに形だけを真似ても能の表現にはならないのです。「運び」というのは、この身体が、上下左右にゆれ動くこともなく前に進むことです。前後に引き合っている力の均衡が破れて、何足(なんぞく)か前進するのですから強い表現となり得るのです。
そして「シカケ」によって、前方それもあるときは宇宙の彼方という無限大の焦点に向かって凝縮した気力を集中させ、「ヒラキ」によって大きく解放してやります。こうした型の内実に無感覚で安易に「シカケ」をしたのでは器械体操のように両手を広げた「ヒラキ」になり、最後まで開ききってしまっては、役者の限界が見えてしまい、存在感、緊張感が失われてしまいます。負荷がかかっていれば開ききることはあり得ないのです。そしてその残り部分、余白や余韻を観客の想像力に委ねる、このことも表現の豊かさだと思うのです。
 先代の観世銕之亟さんが「アクセルを踏みながらブレーキを踏む」とよくおっしゃっていましたが、負荷の掛け方を的確に表現された言葉だと思います。
 これが能の「仕掛け」であり、単なる「シカケ、ヒラキ」という物理的な動きとは違います。三間四方という限られた空間で時空を越えて人間の深い情念を表現し、宇宙的な大きさを表現する芸能の本質的な方法であり、まさに仕掛けなのです。

写真 粟谷能夫「黒塚」 撮影 東條睦

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