地謡の熱き思い

地謡の熱き思い

粟谷能夫

 能はシテ一人ではできない。シテの謡とワキや地謡の謡が躍動感をもって曲の世界を造形し、囃子がそれをくっきり浮かび上がらせる。人に感動を与える能は、そういう総合された力があってこそなのだ。このごろ地謡の重要さに思いをせずにはいられない。
 今年三月の粟谷能の会に於ける私の『西行桜』に引きつけて考えてみたい。『西行桜』といえば、観世寿夫さんの晩年の舞台が鮮やかに思い起こされる。特に最後の『西行桜』は寿夫さんの熱といおうか、あたたかいオーラが見えてきた。寿夫さんの能はときに怜悧で冷たいと評されることもあったが、あのときの舞台はあたたかい能だと感じさせられた。それは寿夫さんの能世界が変わるときだったかもしれず、その前兆を見たような、不思議な感動であった。それを二十数年経て、今自分が舞おうとしている・・・。
 『西行桜』は閑雅の中に桜の美しさを味わいたい歌人・西行と桜の木の精との心の交流とでもいったものを描いている。しかもその桜の精は美しい乙女ではなく、老翁であるところに、この曲の曲趣があって、春爛漫を愛でながらも薄墨桜のような渋さ、老いて散りゆくもののあわれさをにじませているように思われる。
 この世界を創り出すのが地謡の謡。謡い出しで、世捨て人も山までも桜の花に誘い出されると謡い上げ、サシのシテとのかけ合いや、クセの地謡で「見渡せば、柳桜をこき交ぜて、都は春の錦、燦爛たり、千本の桜を植え置き・・・」からの桜の名所を経巡っての詠嘆。これらの謡で、地謡が世界を創ってくれるから、シテの「惜しむべし、惜しむべし、得がたきは時、逢ひがたきは友なるべし、春宵一刻値千金」という強い感懐が引き出され、「待て暫し」と春を惜しみ人生を惜しむ風情が浮き上がってくる。これはシテ一人ではどう頑張っても創り出せる世界ではない。
 地謡は謡いながらシテを創っていく、全体を自分の中に呼び込んでいくという感覚、よい能だったと思える舞台にはそんな感覚がある。だから地謡は恐くもあり楽しくもあるのだ。シテのためにエネルギッシュに謡うのだという心意気、その世界をどう創るかという思いが地謡一人一人の中にないといけないと思う。
最近「前列病」という病気があると知らされた。ただ座っているだけで、地謡や能に積極的に参加しようとしない症状だ。前列は後列に比べれば責任感の度合いは少ないかもしれないが、一人一人が自覚を持ち地謡を支えていかなければいけない。私が地謡の前列にいた頃の大先輩たちは、どんな曲でも、大いに気張って謡われ、喜多流の謡とはこういうものだと強く体感させてくださった。

我々も次の世代も、この先達のよき伝統を受け継ぎ、地謡の熱き思いを謡っていかなければと思う。そのためにやるべきことは山積みされている。

写真「西行桜」 粟谷能夫 撮影 東條睦

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