君子南面す


粟谷能の会通信 阿吽


君子南面す

粟谷菊生


 

 「君子南面す」と言う。昔、君子は南に向って坐すものとされ、従って能舞台は北に向っている。然し、シテが曲の上で南に向わねばならぬ時、君子にお尻を向けることになってしまう。それでは失礼に当ると、喜多流は舞台で演じる時、目付柱の方角を北とし、笛柱の方角を南としている。観世流は全くその逆をとり、シテ柱の方角を西としている。

 ところで、屋外で行われる薪能などの場合、薪火の焚かれるのは日が暮れてからで、薪能と言っても初番は日の沈まぬ夕方から始められる。或る時、入日を拝む型を演ったら、ホンモノの夕陽を背後に浴びることになってしまい何とも妙な気分になった事がある。又姫路城で薪能を舞った時は、その日の午後、正面の中心を何処にとろうかと見渡していたら、前方にジャスコのネオンサインがあったので、これは丁度よい目標になると決めていたら、折からの石油ショックでネオンがつかなくなり、前方真暗で内心あわててしまった事もある。

 因みに当流の「邯鄲」は、方角が全部逆になると先人から伝えられている。それは盧生が夢の中で舞うので方角は全く無視されているためだとか。

 ちょっと能舞台にまつわる方角の話をあれこれ。


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