第7話 披く

能楽師が初めて能、狂言を勤めるときに「披き(ひらき)」「披く(ひらく)」という言葉を使います。私も未だ演じていない曲が沢山あり、これらを勤めるときも一応「披く」ということにはなりますが、一般には習(ならい)の大曲、秘曲を勤めるときに使われます。

喜多流の私の場合でご紹介しますと、「披き」と銘打つものは、最初に『猩々乱』27歳、次ぎに『道成寺』31歳、『石橋』(連獅子)の子獅子34歳、そして『翁』39歳でした。通常、最初の披きは『猩々乱』ですが、それ以後の順番は人により異なります。

写真 披き『猩々乱』粟谷明生  撮影 宮地啓二

私は、『安宅』『隅田川』『望月』なども演じてまいりましたが、これらは今ではとりたてて「披き」と騒ぎたてることはありません。昔は20代から30代までに主要な曲は披いていたようですが、現在は諸般の事情もあり40代、50代になってようやく『翁』という場合もあります。

この披きの意味は、「芸、甚だ未熟でお見苦しいとは存じますが、一生懸命勤めますのでお許しください」ということと、先人より教えられてきました。ですから番組にわざわざ「披」という文字を記載している場合もあります。披きは能楽師としての修業の一つの節目にあたり、若き能楽師は常に次の披きの段階を目標に稽古に精進、研鑚しています。

披きの当日、お世話になる先生、三役の方々、流内の能楽師などに記念品を差し上げることがあります。よく配られる品物に扇があり、披き扇と呼ばれています。その日に披く曲目にあった絵柄で、その日のために作るのですから、貴重な記念品になります。
あとでその扇を見たとき、「これは誰々さんの披きのときのだ」と思い出されるわけです。

粟谷能夫 道成寺披き扇
粟谷明生 道成寺披き扇

ここである失敗談をひとつ、ご紹介しましょう。
この披き扇を三役(脇方、囃子方、狂言方)にお配りするときは、それぞれの流儀の寸法にあったものをお渡ししなくてはいけないのですが、ある方が全て喜多流寸法で三役の皆様にお渡ししたことがあり、後日配られた方が「申し訳ないが、うちでは使えないあの披き扇、誰か引き取ってもらえないだろうか」と嘆かれていたことがありました。これでは折角の記念品も台なしです。こんなことがないように、披き扇の作法を、後輩にはちゃんと伝えなければと思います。

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