第17話 修羅物

番立の能組の二番目に舞われるものを修羅物と呼びます。
15曲程度がこの二番目物(修羅物)に分類され、大抵の曲が平家と源氏の戦がベースになっています。修羅物は大きく勝修羅(かちしゅら)と負修羅(まけしゅら)に分かれます。喜多流では、勝修羅は『八島』『箙(えびら)』『田村』の三曲、負修羅は源氏方では『兼平』『巴』『朝長』で、平家方では『忠度』『俊成忠度』『清経』『通盛』『敦盛』『経政』『知章(ともあきら)』『実盛』『頼政』です。
舞台ではこの勝ち負けをどのように区別しているかご存知でしょうか?
それは修羅扇の模様に表れています。勝修羅扇には松、旭日、霰文の文様が金箔地に描かれ、負修羅扇には波濤(はとう)に入り日の文様が基本です。


負修羅扇

勝修羅扇

修羅物では、シテ演ずる武将の戦時の出立ちには白い鉢巻と梨打烏帽子(なしうちえぼし)が欠かせません。烏帽子の先端は左右いずれかに倒します。倒し方は勝ち負けで区別するのではなく、演者の烏帽子の左折りが源氏、右折りは平家という決まりがあります。
したがって、源氏の左折りは『八島』『箙』『兼平』『巴』『朝長』、四番目物(雑物)では『七騎落(しちきおち)』。平家の右折りは『忠度』『俊成忠度』『清経』『通盛』『敦盛』『経政』『知章』『実盛』、四番目物では『盛久』になります。

> 能 清経 右折梨打烏帽子 演者  粟谷明生

さて、ここに困った曲があります。『田村』です。坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)の時代は平安時代初期、源氏も平家も関係のない戦ですが、現在は勝修羅三曲『八島』『箙』『田村』として左折りにしています。

修羅物の中で特に位が高く、重い曲として扱われるのは『朝長』『実盛』『頼政』の三曲で三修羅と呼ばれています。『実盛』『頼政』は老武者を演ずるため、『朝長』は前場が現在物として青墓の長者という中年女性を、後場を若き男性、朝長をと演じわけるところが大曲と言われる所以です。

修羅物で使用する面は、武人を強調する場合は「平太(へいた)」を使用します。たとえば、『八島』『箙』『田村』『兼平』がそうです。平家の公家、貴公子には「中将(ちゅうじょう)」、「十六(じゅうろく)」「今若(いまわか)」などを使用しています。特異なものでは、『頼政』の専用面「頼政」、『実盛』は老体を表した「三光尉(さんこうじょう)」、巴御前を主人公にした『巴』は小面を用います。

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