『清経』を演じて ー形見というキーワードー

『清経』を演じて
形見というキーワード

 能『清経』は平家物語や源平盛衰記をもとにして世阿弥が戯曲したものです。とはいえ、平家物語で清経について綴られているのは入水したことを述べる数行のみです。このわずかな叙述に心を留め、清経の震える心に分け入り、若くして入水しなければならなかった貴公子とその妻の情愛を香り高く創り上げたところに、世阿弥の能への思いが伝わります。都落ちの時、清経は19歳、妻は20歳ぐらい、若い夫婦です。まだ成熟していない清経の人間の繊細さ、弱さを能『清経』は表現しているといえるでしょう。
 『清経』は中入りのない一場物ですが、前半は現在能形式、後半は夢幻能的な修羅物となっています。前半は粟津三郎(ワキ)が清経の妻(ツレ)を訪ね、清経の形見の鬢の髪を届け、清経が柳ヶ浦で船から身を投げたことを報告します。妻は、清経が遁世でもない、討たれたのでもない、病気でもない、自ら命を絶ったことに戸惑い、必ずこの世で逢おうと約束したのにと怨みます。後半は「夢になりとも見え給え」とまどろむ妻の夢枕に清経の霊(シテ)が現れ、夢幻能のような趣向になります。



 撮影・青木信二

この『清経』を第96回粟谷能の会(平成26年10月12日)で「音取」の小書付きで勤めました。「音取」は笛方の秘事で、シテの出に特殊な笛のアシラヒが入ります。演者は笛の音に引かれ、「どこから聞こえてくるのだろうか?」と探し求める心持ちで運びます。
私の小書への挑戦は研究公演以来二回目で、共に一噌仙幸先生のお相手で光栄に思っています。この小書は観世流、金春流では「恋之音取」、喜多流、宝生流では「音取」と呼ばれていますが、我が家の伝書に「恋の音取」と記載されていて驚きました。それでも、「音取」で通している今の喜多流なので、私も「音取」としておきます。
昔は音取の譜を聴き取ることが難しいからか、先人たちは敬遠されることが多かったようです。現に父は一度森田流の吉岡望氏をお相手に勤めていますが、とても苦労して、二度とやりたくないとこぼしていたのを覚えています。近年は録音再生が簡単に出来るようになり、笛の譜を聞き取るのはさほど難しいことではなくなってきました。とは思いながらも、やはり何度も音を聞いての稽古が必要なことは言うまでもありません。
伝書には、「音取」の演出が能『清経』本来のものであったような記載がありますが、昨今は笛方の秘事を過大視し、経済的に窮屈なものとなり、頻繁に行われることはなくなりました。良いことなのか、そうでないのか、私には判断がつきにくいところです。

笛方は地謡の「夢になりとも見え給へと」の謡の内に、本来の笛座から本舞台に進み入り、「枕や恋を知らすらん」と妻が眠りにつくと、幕の方に向き、静かにひとり譜を吹き始めます。清経の霊はその音色に引かれ、妻の夢の中にその姿をほのかに現していきます。清経が愛した笛、その音が聞こえると動き、止むと静止、この繰り返しが音取の型です。型附は、吹き出しで半幕、床几にて姿を見せ、一度幕を下ろし、次の吹き出しで三の松まで出て正面に向き、停止。また吹き出しで二の松あたりまで譜に合わせ運び停止。また一の松まで動き、正面を向くと、「恋の手」という特殊な譜となり、右向き聞き入る型、左向き聞き入る型、となります。最後は橋掛りより本舞台に入り、笛の音がやむと「うたた寝に恋しき人を見てしより、夢ちょうものは頼み初めてき」と小町の歌を歌い上げ、「いかに古人(いにしえびと)」と妻に呼びかけます。「音取」は静寂な舞台空間の中で、笛一管とシテの運び(歩行)のコラボが見どころ、ということになります。
 
このようにして夢の中に会えた二人ですが、妻は清経が自ら命を絶ったことへの怨み、夫はせっかく贈った形見を妻が送り返してきた怨みを言い合うことになります。この二人のやり取りは聞かせどころなのですが、妻のなぜ自分を置いて自殺してしまったのかという怨みはよくわかるにしても、清経の「なぜ形見を返してきたのか」という怨み節は少ししつこいように感じます。



撮影・青木信二

そこで『清経』のテーマ、キーワードはなんだろうかと考えたとき、この執拗にこだわる「形見」に思い至りました。形見を返してきたことについては「源平盛衰記」に記述があります。それによると、形見は清経の生前に贈られていますが、能では彼の死後に返したと脚色されていいます。シテ謡に「再び贈る黒髪の厭かずは留むべき形見ぞかし」とあり、ここが気になります。「再び」とは生前と死後の二回形見を送っていること、それなのに両方とも返すのかと怨み節になる・・・と解釈出来ないでしょうか。もっとも他流の詞章では、「再び贈る」のところは「さしも送りし」となっていて、「再び」の言葉はないので、それほどこだわったものではないかもしれません。

さらに「源平盛衰記」を見ていくと、清経がひとり都落ちしたのは、妻の父母の猛反対があったからとあります。妻は同行したくとも出来ず、二人は泣く泣く引き裂かれた格好のようです。清経は悲しみ、西国への道中、鬢の髪を形見として妻へ送り、また連絡すると約束します。ところが、その後三年の間便りをしなかったため、遂に妻は心変わりしたと恨み、清経のもとへ鬢の髪と「見る度に心づくしの髪なれば、宇佐にぞ返す元の社へ」(見る度に心を痛める髪なので、つらさに宇佐の神の社へお返しします)と一首の歌を添えて送り返します。清経はこれを柳ヶ浦にて受け取り悲観したようです。入水の決意を固める一つの要因になったかもしれません。



撮影・青木信二

妻の父母の猛反対とはどういうことでしょう。清経は平重盛の三男、清盛の孫にあたります。妻は清盛殺害を企てた藤原成親卿の娘でした。妻の家では平家を大事に思うはずもなく、平家一門からは心底気を許されていない、そんな両家の環境も影響したのではないでしょうか。私はそのように推察しています。
家と家の事情はあったでしょうが、清経の霊は愛する妻への想いをより深く演出したい気持ちで夢枕に現れたはずです。ところがさっそくの怨み節。シテとツレの問答は若い夫婦の口喧嘩で、これはいつの世にも通じます。現代風にアレンジしてみましょう。

男「いつでも自分のことを思い出してほしいから形見のプレゼントをしたんだよ」
女「プレゼントは見れば見るほどあなたのことを思い出して心が乱れるから、そんなものは返すわ」
男「私のことをまだ好きならば手元に留めておくのが普通じゃないか!」
女「なに言ってんのよ、女の気持ちがわかってないわね。見ると思いが乱れちゃうのが嫌なのよ!」
男「わざわざ贈ってあげたのに・・・」
女「なによ。ずっと一緒に、という約束を破っちゃって。しかも自殺なんて!!」
男「お互いに恨み恨まれるのもプレゼントのせいだね」
女「そうよ。形見のプレゼントとは、とてもつらいものよ」。
こんな会話を想像しながら、このくだりを演じました。

しかし口喧嘩というものも、途中でつらくなるのが常です。やがて清経は「このうえは怨みを晴れ給へ。西海四海の物語申し候はん」と都落ちから入水までの有様を語り始めます。
途中、宇佐八幡に参詣しようと、神馬、金銀、種々の捧げ物をしつらえていると、ご神詠が聞こえてくる・・・。
「世の中のうさには神も無きものを、何祈るらん、こころ尽くしに」
(世の中の憂さ、平家がこのような状況になっては、宇佐の神も何もできないものなのですよ。それなのに何を祈るのですか。・・・・)



撮影・吉越 研

神も仏も我らをお見捨てになったのかと一門の者は皆肩を落とし、それは哀れな有様であった。清経も一門の行く末に絶望し、いたずらに憂き世に永らえるよりは、いっそ身を投げて果てようと秘かに決意したと語ります。平家物語にある宇佐八幡のご神詠の話をここに持ってきて、清経が自死に追い込まれて行く様をみごとに描き出しています。
ついに清経は「船の舳板に立ち上がり、腰より横笛抜き出し、音も澄みやかに吹き鳴らし・・・・西に傾く月を見れば、いざや我も連れんと、南無阿弥陀仏弥陀仏迎へさせ給へと、唯一声を最期にて、船よりかっぱと落ち汐の底の水屑と沈み行く憂き身の果てぞ悲しき」と、実に美しい詞章で最期を見せ、修羅道の苦患へと続けます。美しい詞章と美しい型の連続、囃子方もそれに呼応して舞台を盛り上げてくれます。『清経』は修羅物ではありますが、勇ましい武勲談があるわけではなく、心の葛藤の表現としての「カケリ」もないのが珍しいところです。武将でありながらどこか心が柔弱で、入水という戦わずして命を絶ってしまう、その公家的な若き武将・清経の最期を、舞を中心にして見せるのが能『清経』です。最後「仏果を得しこそ有難けれ」で留めるとあたりは静寂に包まれます。夢の世界はその静寂のなかに余韻を残しながら消えていきます。もっとも能らしく、平家の貴公子の品のよさ、亡びる者への美学と救済が存分に描かれていると思います。私もそこを意識して勤めています。



撮影・粟谷明生

装束は、前回の研究公演同様、粟谷家所蔵の「紅白段模様唐織厚板」を使用しました。これは佐々木装束店が「桃山時代のものかもしれません」と高く評価してくださるほどの名品です。滅多に身に着けることのできない装束で勤めることができ幸せでした。
 今回、笛は一噌仙幸先生、ワキは宝生閑先生と、お二人の人間国宝の先生方にご出演していただき、身に余る光栄で、貴重な時間を過ごすことができました。これらのことが観ていただく方に少しでもうまく伝えることが出来れば、と勤め終えた今も感じています。
(平成26年10月 記)