『紅葉狩』について

「紅葉狩」について


宮島、厳島神社桃花祭神能(平成25年4月18日)にて『紅葉狩』を勤めました。
快晴とはいえ、塚の作り物も飛ばされそうなぐらいの強風が吹いたため、鬘帯は乱れ、舞っていて中啓(扇)を落とすのではと心配するほどでしたが、どうにか難なく勤めることが出来ました。


能『紅葉狩』は一畳台の上に山を想像させる塚に紅葉枝が挿された作り物が本舞台の大小前に置かれます。ここは山々の木々が紅葉し、ひとときの時雨にて錦秋も一入美しさを増す信濃国(長野県)、戸隠山です。作り物を見ながら、こう想像していただくところから能ははじまります。


やがて、妖艶な上臈・遊女(前シテ)が供の女たち(シテツレ)を引き連れて登場します。
時雨がにわかに降って来たことと、秋の美しい景色を謡いながら女達は木陰に雨宿りして休みます。そこへ鹿狩りに来た平維茂一行が通りかかり、女の身元を下女に尋ねますが、
「ただ身分の高いお方がお忍びで酒宴をされている」と名は明かしません。維茂は馬から下りて道を変えて通り過ぎようとしますが、遊女の一人(前シテ)が維茂の心遣いに感心して袂に縋り引き留めます。酒宴に誘い饗応する遊女に、維茂はその濃艶で豊麗な女の魅力に惹かれ、薦めに応じ酒を交わし美女の舞に酔いしれ、遂に不覚にも眠ってしまいます。
女達はそれを見ると鬼の本性を現し、「夢を見て寝ていろ」と言い捨て山中に消えます。
(中入)


寝ている維茂の前に八幡八幡宮(やわたはちまんぐう)の末社の神が神剣を持って現れ、鬼神退治するように維茂に神勅を伝えると、維茂は目を覚まし神剣を持ち身支度します。すると、稲妻が光り、雷鳴が轟き、先ほどの美女が化生の姿となって襲いかかりますが、維茂は応戦して烈しい格闘の末、見事鬼の首を斬り退治します。


能の構成は神・男・女・狂・鬼の五番立。最後の鬼の能は切能と呼ばれ鬼畜物の作品が多く、武将の鬼退治の曲目はこの『紅葉狩』の他に『大江山』『土蜘蛛』『羅生門』などがあります。山伏が霊を祈り伏せるものには『黒塚』『野守』、ちょっとニュアンスが異なりますが、弁慶の祈りで知盛の霊を追い払う『船弁慶』なども切能です。切能は一日の最後に演じられ『大江山』『土蜘蛛』『羅生門』『黒塚』などは悪者が退治され追い払われる曲ですが、実はもともとそこに住み着いていた原住民が、あとから来た侵攻者に追い出され殺されるという不条理な内容です。シテ方は敗者を演じるので、つい理不尽に敗者となる側の味方をしたくなります。これは私だけかもしれませんが。



しかし、この『紅葉狩』の鬼女には同情が湧きません。律儀にも敢えて邪魔をしないようにと、通り過ぎようとする維茂に誘いをかけるのは、最初からのもくろみがあってのことです。尚かつ酒を呑ませて眠らせておいて・・・、というのはずるい卑怯な悪な行為です。現代でも、しこたま飲まされ寝ている間にお財布の中身を取られるというのがありますが、なにか通じるものがあります。
『紅葉狩』は鬼の懲悪をテーマにしたもので、鬼に情状酌量の余地はなく、勧善懲悪の珍しい作品です。


芝居や映画で、怒った女が口をきかずに男に襲いかかるシーンがありますが、あれは怖いです。『紅葉狩』の後シテ化生の者の鬼女もシテ謡はなく、なにも言わずに襲いかかるところにこの鬼の凄まじさ、醜さを演出している様に思います。


『紅葉狩』は上臈(前シテ)が舞う舞に特徴があります。最初は静かでゆっくりな舞、喜多流は序之舞ではじまりますが、ゆったりとしたリズムの序之舞から、途中急にスピードが速くなり、美しい上臈が恐ろしい鬼の形相に替わるのを表現しています。急之舞と呼ばれるこの舞が囃すスピードがもっとも速いとされていて、喜多流では『道成寺』と『絵馬』の小書「女体」が付いた時の力神の舞、そしてこの『紅葉狩』にしかありません。


『紅葉狩』の急之舞の特徴は、ゆっくりな速度の序之舞から途中急転換して早くなる、その変化が急なため余計に後半の舞が早く感じられるように工夫されています。通常、舞の足拍子は音を立てますが、ここでは、維茂の眠りを覚まさないために、音を立てずに踏んだように腰を屈めます。顔は面をキビキビと動かして異常な精神状態を見せるように舞います。ここが演者の舞の力量が発揮されるところです。


世阿弥が幽玄の世界と称し、シテが一人静かに過去を回想して舞を舞う世界を確立しましたが、その反動なのか、『紅葉狩』の作者、信光は大衆に気軽に楽しんでもらえる風流能の創作に挑み、人気曲を生み出しています。大きな作り物を活用し、大勢の登場人物に各役に似合う配役をし、舞台進行を判りやすくするのが特徴です。

 
『紅葉狩』でも、例えば、塚(山)の作り物を一畳台の端において空いた場所でも演技する、袂に縋る型、ワキと組む型、役者同士が触れるなど、当時としても奇抜なアイデアが満載された新しい演目だったと思います。後シテの面装束は本来、面「シカミ」で装束は法被、半切袴という鬼神スタイルですが、近年は裳着胴姿(もぎどうすがた=重ね着しない)に面「般若」という鬼女をイメージしたもので対応しています。今回も般若でしましたが、維茂と強風と対戦相手が多く、気を遣いました。


さて、最後に父にどのように演じたらよいかを聞いた時のことをご紹介します。
「『紅葉狩』のシテをやることになったが、どんな気持ちで勤めたらいいのか?」と父に聞くと、即答で「BAR・もみじのママ・カエデチャンになった気分でやれ!」でした。
また、今回、小鼓を打って下さった横山晴明先生からは「『紅葉狩』のシテの色気は、銀座の高級クラブのNO.1のようなお気持ちでなさったら・・・」ともご指導を受けました。


このような言葉が私の想像力をかき立て、演能自体を面白くさせてくれます。こんな風に思うのは私だけかもしれませんが、こういうアドバイスが好きな私なので、今度は自分がそのように興味が湧くような面白い言葉を見つけられれば・・・、と思っています。
三日間の奉納の最後に自然の力、強風、雑音などいろいろなことを受けながらも、それに対応して舞うことが出来たこと、健康でいられること、母を含めて家族も安泰でいられること、厳島の女神様には感謝しています。来年はたぶん『弱法師』を勤めることになるでしょうが、元気に舞台を踏み、これからも奉納が出来る自分でいたいと、帰り際に神にまた祈り、島を離れました。            
(平成25年4月 記)

写真 紅葉狩 シテ 粟谷明生 撮影 石田 裕 
文責 粟谷明生

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