『鞍馬天狗』白頭を勤めて  ー豪快天狗に秘める同性愛ー

『鞍馬天狗』白頭を勤めて
―豪快天狗に秘める同性愛―
粟谷 明生

能の『鞍馬天狗』といえば、花見のお稚児さんを真っ先に想像します。
ときは春爛漫。鞍馬山には東谷と西谷に坊舎があり、東谷の僧が預かっている稚児たちを花見の宴へ連れだします。舞台では、橋掛りに沙那王(子方)を先頭に平家の稚児たち(「花見」と呼ばれている)が登場します。この「花見」は、幼い能楽師の初舞台となることが多く、幼い子どもたちの登場は舞台を一瞬に華やかにしてくれます。今回は子方に内田貴成君(11歳)、花見には金子天晟君(8歳)、友枝大風君(7歳)、野村真之介君(6歳、野村万蔵次男)、宝生尚哉君(6歳・初舞台、宝生欣哉次男)、そして粟谷僚太君(5歳)と喜多流と三役のお子様が舞台に満開の桜を咲かせてくれました。

義経は悲劇の英雄として国民的な人気があります。能でも義経(幼名:牛若丸=沙那王)が登場する曲は数々あり、牛若丸時代のものに、鞍馬山の天狗に兵法を教わる『鞍馬天狗』、京の五条橋で弁慶を家来にする『橋弁慶』、盗賊の熊坂長範を討つ『烏帽子折』があり、いずれも子方が勤めます。義経時代の曲は『八島』『船弁慶』『安宅』『正尊』『摂待』など、いずれも人気曲です。能の義経はなぜか子方が勤めることが多く、大人が義経を演じるのは『八島』と『摂待』の二曲だけです。
今回、式能で勤めた『鞍馬天狗』は義経のもっとも幼少のときの話で、平治の乱で敗れた父・義朝の死後、鞍馬山に預けられ、平家の子どもたちと生きる境遇になった源氏の御曹司・沙那王の憂鬱、そこに現れた大天狗との交流をみずみずしく描いています。

さあ、話を舞台に戻しましょう。
花見の宴席で、西谷の能力が稚児たちに舞を見せているところに、山伏(前シテ)が割り込んでどっかりと座り、華やいだ雰囲気はたちまち一変し、不穏な趣きとなります。しかし、東谷の僧侶は、諍いを避け、平家の稚児を連れて東谷に戻ってしまいます。こういう設定ですから、「花見」が舞台にいるのは10分程度で、あっという間に退場してしまいます。まさに桜の花がぱっと散るようで、観客の心に残るのでしょう。

さて残った山伏と源氏の御曹司・沙那王。この場面転換がみごとです。大勢の花見の場面から、焦点を二人に絞り、ここからが『鞍馬天狗』の本題となります。お互いに寂しい独り身を哀れみ合い、山伏は沙那王に鞍馬山の奥の山道を案内し、愛宕山、比良や横川、吉野初瀬の桜まで見せます。遂に自分はこの鞍馬山に住む大天狗であると明かし、沙那王に源氏の頭領となって奢る平家を倒すときが来たら加勢すると約束して消えてしまいます。後場では大天狗(後シテ)となって登場し、兵法の奥義や武術を伝えます。

今回『鞍馬天狗』を勤めるに当たり、牛若丸に兵法を伝授した鞍馬山の天狗の正体は何かが気になりました。
天狗は一般的には、山伏や僧侶などの姿をして、鼻高く羽団扇を持ち、山中を自由に飛行して、通力を有する架空の超人・怪人と思われています。私は一時、過酷な修行をした山岳信仰の修験者達が天狗と錯覚されてきたのではないかと思っていましたが、天狗は、“人はみな死後、六道と呼ばれる六つの世界のどこかに生まれ変わる”という仏教の輪廻思想を否定し、自らの意志で天狗道という魔界に創り住むということですから、天狗は死後の存在となるので、私の説は成立しないようです。ゆえに天狗は架空の存在として、とりわけ能ではそのように鑑賞されたらよいかと思います。

しかしこの天狗にも、コレステロール同様、悪玉と善玉があります。
悪玉天狗は仏教に敵対する『是界』の是界坊や『大会』『車僧』などの愛宕山太郎坊で、いずれも威勢を張って高慢さを見せますが、最後は仏力に負け退散するユーモラスな天狗です。
それに対し『鞍馬天狗』の僧正坊は仏教と融和しながらも、牛若丸に武術・兵法を教え、源氏再興に力を貸すと約束する善玉天狗です。もっとも平家方からすれば、善玉ではないのかもしれませ
んが…。ではなぜ、能『鞍馬天狗』は善玉天狗なのでしょうか。ヒントは鞍馬山魔王大僧正影向図にありました。大僧正坊は鞍馬寺の本尊、多聞天の夜の姿であり、しかも天狗たちの総帥として描かれています。つまり鞍馬寺の天台信仰は天狗道とうまく融和合体された珍しいケースのようです。

以前は『鞍馬天狗』という曲は、時の権力への反抗、反政府精神、鞍馬寺天台信仰が基盤であると解釈していました。確かに大天狗の豪快さ、威風堂々とした強さが必要で、奢る平家など、権力に対する反骨精神はあります。
しかし、父からも、友枝昭世師からも、『鞍馬天狗』のシテは強さの中に柔らかみが必要で、子方とのやりとりに強さだけではないものが必要と注意されて来ました。はじめは理解出来ませんでしたが、今回、地謡の詞章を読み返しようやくその意味が判るようになりました。

『鞍馬天狗』は大人と子どもの同性愛が底流にあるのです。
その根拠は地謡の「御物笑ひの種蒔くや言の葉しげき恋草の、老いをな隔てそ垣穂の梅、さてこそ花の情けなれ、花に三春の約あり。人に一夜を馴れ初めて、後いかならんうちつけに心空に楢柴の、馴れはまさらで恋の増さらん悔しさよ」です。

「あなたへの恋心は世の物笑いですが、老いた私を嫌わないでね、美しい梅のようなあなた。それこそが花の情けなのですよ。花は毎年春がめぐってくれば同じように咲くけれど、人は一夜を共に過ごしたとしてもその後どうなってしまうかはわからない。ふとしたことがきっかけで心惹かれて、すっかりあなたにぽーっとなってしまって、あなたとの仲は一向に進展しないのに、恋しい気持ちは増すばかり、あ??それがつらい。こんなことならあなたと親しくならなければよかったのに」。

牛若を可憐な梅の花に見立て、「花は春がくるたびに咲くものだけれど、あなたの気持ちはそうとは限らない。こんなに苦しい思いをするなら」と、まあなんとも女々しい恋する乙女モード全開の山伏の気持ちが謡われていて、すっかり沙那王に惚れ込んでいます。
私が思っていた、天狗は源氏再興を目論む源氏方の残党、鞍馬寺の天台信仰を普及させるための宗教PRソング、そのような主旨のものではないようです。

少年に惚れ込んでしまったオジサンの弱みで、代償に兵法の奥義を教え、支援することになるのです。
当時、僧侶の童子への男色の話はさまざまに伝えられ、ありえない話ではありません。
現代のノーマルな男女間の愛の考えでは、到底理解出来ないことかもしれませんが、時を昔に持っていけば想像は可能です。演者は、そこを意識して、強さの中にも柔らかみが必要になります。しかし露骨に見せないのが能のよいところで、そこはかとなく演じる力量が問われます。
それが出来たかは別として、そのように思いました。

今回は白頭の小書付きでした。後シテは頭が白い毛となり、鹿背杖をついてどっしりと現れ、位も上がります。喜多流で白い毛の頭を使用する曲は、『鞍馬天狗』のほかに、『是界』『小鍛冶』『殺生石』『氷室』『鵺』などがありますが、普通は白頭になると面が替わります。

『小鍛冶』は「小飛出」から「泥飛出」になり、『殺生石』は「野干」に、『氷室』は「悪尉ベシミ」になります。
ところが、天狗物の『鞍馬天狗』と『是界』は面が替わらず、頭が白い毛になっても、赤頭の時の「大ベシミ」を使用するように伝書に書かれています。「大ベシミ」は大きな彫りの深い目も鼻も口も大きく、口をぎゅっと結んで睨みを利かせた形相の面です。

私はどうも、今回の『鞍馬天狗』「白頭」にはこの「大ベシミ」がアンバランスのようで気になりました。理屈っぽいことは言わず、力感を持って舞えばよい、という先輩の声も判りますが、白い毛に似合う面をと思い「悪尉ベシミ」をかけることにしました。

我が家には、二通りの「悪尉ベシミ」があります。
一つは通称「猫ベシミ」といわれるやや戯けた形相のもの、もう一つは、いかにも頑固で強靱な老人の迫力を感じさせるものです。
今回は、後者の年を経たお爺さん山伏天狗で勤めました。

能の天狗の扮装は、二通りあります。
まず直面(ひためん)の場合は『安宅』の弁慶同様の山伏姿となり、頭に兜巾を載せ、水衣に鈴掛をかけ、腰に小太刀を差して、右手に中啓、左手には数珠を持ち登場します。

面をつける場合は、頭に大兜巾を載せ、狩衣を着て、右手に羽団扇を持ち飛行していることを表します。狩衣の上に鈴掛を附けたり、鈴掛の代わりとして縷水衣を重ね着する「大鈴掛」という特殊な替えもあります。また掛絡を被る僧侶姿もありますが、今回は山伏姿を強調する「大鈴掛」で勤めました。

最後に薙刀の扱いにもふれておきます。
能でシテが薙刀を扱う曲は、喜多流では『巴』『船弁慶』『熊坂』の三曲です。子方が扱うものは『正尊』の静御前と『鞍馬天狗』の沙那王ですが、『鞍馬天狗』は子方の小さな薙刀をシテが受け取って使用する珍しい曲です。

薙刀扱いは、『巴』の巴御前は柔らかく女性らしく、『熊坂』の熊坂長範は荒々しく豪快に、『船弁慶』の平知盛はその両方を取り入れるとよい、と父から教えられて来ました。

「『鞍馬天狗』の大天狗はね。牛若に剣術を指南する気持ちで、このように扱うんだよ! とやさしく教えるようにするんだ。子方用の小さな薙刀をうまく扱うところがミソ」と教えてくれました。実際演じると狩衣の大きな袖が邪魔で思うようにスムーズに扱えず苦労しましたが、どうにか菊生天狗に教えてもらったような明生天狗になったでしょうか…。今も私の頭に残る父の言葉です。

『鞍馬天狗』は初舞台を踏む「花見」から、子方の牛若丸(沙那王)、年を経てシテの大天狗まで、長い能楽師人生の節目にふれる曲です。今回この曲を勤めた喜び、流儀内だけではなく、将来の能楽を担う子どもたちと一緒に舞台に立てたことが、頼もしく嬉しくもありました。

花見や子方を自分が勤め、その子が勤め、やがて孫が勤めと、まさに能は継承されていると実感させられ、演能後、もう気分は晴れやかで、二・三日大満足の明生天狗でありました。

(平成23年2月20日式能を勤めて 平成23年2月 記)

今回の『鞍馬天狗』シテ・粟谷明生の舞台写真の権利は、能楽協会が所有しているため、ホームページへの写真の投稿は控えさせて頂きました。ご理解ご了承下さい。

写真
鞍馬寺山門        撮影 粟谷明生
面「悪尉ベシミ」粟谷家蔵 撮影 粟谷明生

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