『綾鼓』を勤めて ー老いの恋心と女御の胸の内ー 

『綾鼓』を勤めて
ー老いの恋心と女御の胸の内ー 
                          粟谷 明生




「恋の重荷、昔綾の太鼓なり」と世阿弥の三道に記載があるように、現在、『恋重荷』は観世流と金春流に、そして『綾鼓』は宝生流・金剛流と喜多流にあります。
但し、喜多流の『綾鼓』は昭和27年、先代15世喜多実宗家と土岐善麿氏が創作した新作能です。そのため謡本も従来の見慣れた字体ではないので、玄人も素人弟子も一寸馴染めず抵抗感を覚えるのが正直なところです。

この曲の舞台の木之丸殿(きのまるどの)は『八島』でも謡われる、朝倉宮の皇居跡で現在は福岡県朝倉市にあります。斉明天皇(女帝)が百済の軍を援護するため大和からはるばる還幸された際の仮宮で、崩御後、御子の天智天皇が喪に服されるために殿舎を造られました。通常皇居は、厳選された木を切り、皮を剥ぎ時間をかけて干して念入りに建造しますが、木之丸殿は急いで造られた仮の宮のため、丸木の木材の皮を剥がずにそのままを使い木之丸殿と呼ばれるようになりました。


さて、事件はこの木之丸殿でおこります。
美しい女御(ツレ)の姿を見て恋に落ちた庭掃きの老人(前シテ)に、女御は池のほとりの桂の枝に鼓をかけて打って音が出たら姿を見せましょう、と約束します。喜んだ老人は必死に打ちますが、鼓は綾で張られていたので音がしません。思い諦めるように臣下に諭されますが、老人は初めから鳴らない鼓を打たされたことを知り憤怒悲嘆して池に身を投げます(中入り)。
老人の死を聞いて哀れを感じた女御は老人が飛び込んだ池の汀を眺めているうちに、波の音が鼓の音に聞こえ狂気の態となります。そこへ庭掃き老人の怨霊(後シテ)が現れて、「綾の鼓が鳴るものか、自分で打ってみろ」と女御を杖で責めます。女御は責苦に堪えられず、池の岸辺に倒れますが、怨霊は冷然とその姿を顧みながら、また池に沈み消えていきます。

能で失恋、邪恋をテーマにしたものは多々ありますが、老人の恋を扱う曲は『綾鼓』(『恋重荷』)が唯一です。しかも女御という宮中の適わぬ相手に恋心を抱いてしまう設定は、一般の想像を超える世界です。

私は今回の演能(平成22年9月5日「ひたち能と狂言」)にあたり、女御像について思いを巡らせてみました。
この女御が、鼓に綾が張られていたことを事前に知っていた場合と知らなかった場合では観る側の舞台への印象も変わるのではないか、謡本の解題にも、鼓に綾が張られたことを女御がいつ知ったかについて記載が不明瞭で、故意にぼかしているように思えます。


父は「女御がからかい半分で老人と接し、老人が本気にしてストーカーになる。女御はうるさくなって、ここはなんとか騙してしまおうと、企むわけだ…。老人をチャタレー夫人の森番に見立てるのが演能の隠し味だ」と『綾鼓』を勤める役者の演能心得を語っていました。

私は「近代能楽集」(三島由紀夫著)の影響でしょうか、どうもツレ(女御)を勤めた時に、卑賤の老爺が貴人に恋するなど身分不相応の異常行為、と不快感を露わにする気が強い女御を想像していました。

今回の演能に先立ち、周りの方とこの女御はどのような立場であったかを意見交換する場を持ちました。いろいろと意見は出ましたが、女御は老人の噂話を知りながらも直接諭せないので困り、鳴らない鼓を鳴らさせる、という一つの手段を思いつき、老人に諦めてもらおうとした、実は優しさに溢れる女御だったのではないか、とのご意見もありました。

いろいろな想像を巡らし、稽古を重ねるうちに、もしかすると女御は綾が張られていたことを知らなかったのではないか、と仮定して演じた方が面白い、と思うようになりました。老人が入水後、女御は臣下からはじめて事件の真相、綾が張られていたことを知らされる、宮中という特殊な環境であれば、本人の知らない間に、周りの者たちの取り計らいで事は進められてしまう…有り得ないこととは言えないと思うのです。

いずれにしても結果は老人を死に追いやり、逆恨みであろうとも女御は老人の死霊に責められます。女御が知っていた場合は、少しやりすぎたから当然の仕打ちだよ、となり、知らなかった場合は、女御への哀れみ、同情が湧いてくるように思えます。

『綾鼓』は新作能のため、基本の型附は喜多実先生の書付が残っています。
現在、この実先生の型附通りに勤める方もいらっしゃいますが、一方では新たに独自の工夫をし演出される方もおられます。私も、私なりの解釈で新工夫したいと思いましたので、舞台進行と共にご紹介します。

今回の『綾鼓』は、形式的な無駄を省き、より解りやすく鑑賞出来ることを、心掛けました。
通常、臣下(ワキ)の名乗りの後には、皇居の者(アイ)が呼び出され、アイが庭掃きの老人(シテ)を呼び出すという所作に重複があるので、直接ワキがシテを呼び出すようにしました。
老人が池のほとりの桂の枝に掛けられた鼓を見せられると、箒を捨てて鼓を打ちますが、従来は撥を使用せずに中啓(扇)にて代用していました。
中啓を撥の代わりとする演技は能らしい扱いですが、「ひたち能と狂言」の会では、はじめて能をご覧になる方も多いと聞いていましたので、より具体的に判りやすくご覧頂ければと思い、敢えて本物の撥を使ってみました。
また、鼓が鳴らずに落胆している老人に、ワキが直接告げるのが、現代の流行ですが、ここも敢えて判りやすさを誇張したく、アイが真相を告げ、撥を荒く奪い取ることで、邪険にされる老人の悲しい有様が強調されると、試みてみました。

後場のシテの登場は幕の内から「声ありて?」と謡い、常の出端(では)の寸法では老人が出現するまでに時間がかかり、間が抜けてしまうので寸法を短くして、シテの謡も橋掛りを歩みながら謡い出す、という今までにない新演出にしました。
今回特に気をつけたのが、綾の鼓への恨みです。老人は女御だけでなく鼓にも恨みがあるはずです。そこを最も強調した演技にしたい、と…。
実先生の書付には、女御へのアクションばかりが多く、鼓への恨みの型はあまりありません。
イロエ(立廻り)も従来のパターン通りの、「拍子を踏み、角に行き、左回りして常座で廻返し、ツレにシカケ開キながら膝付き、グワッシ返し、立ち右回り」と鼓への思い入れの型がなく、やや舞踊的に感じられます。
私はもっと鼓や女御への恨みを直接的に見せる、恐ろしさが溢れる動きにしたく、舞台に入ると、すぐに鼓を見つけ、次にジワジワと女御を探し当てると楚(しもと)を振り上げ、怒りは爆発寸前となる、威嚇の型にしました。

演者は勤める役柄の心境を深く理解して、それに沿った演出をすべきです。
新作能であれば余計、充分に考慮が許されてよいはずです。

今年54歳で、この庭掃き老人に扮するにあたって、老いの恋、老いのプライド、老いの嘆き、諸々の事を考え、以前勤めた老武者の『実盛』のことを思い出しました。
能役者はどうしても、まず外見的な肉体的な衰えを演じ切ろうとしますが、
やはり大事なものはその役の心の内です。老いとは、私にとってまだまだ未知なる世界ですが、少し解るような気分でもあります。
齋藤別当実盛も、庭掃き老人も、共通しているのは、その心根が若き日となにも変わっていない、ことです。
老いて異性への恋心がなくなる、というのは稀なことで、いつまで経ってもわくわくする気持ち、人間の普遍的な本能なのでしょうか。年齢には関係ない永久の感情のようです。

『綾鼓』の老人も庭掃きの労働が出来るくらいですから健康な体です。健康だからこそ、恋する気持ちが衰えないのかもしれません。
しかし事件はこの健康であるがゆえに起きます。老人であり、そのうえ身分の違いが大きく立ちはだかるのです。

女御が、私の解釈のように、事の真相を知らされていなかったとしたら、女御はやさしいお姫様像となり、観客の同情の余地も出てくるでしょう。
反対に死霊となった老人は、永遠に怒り恨み続けなければならない非道に落ち、観客はなんとも惨めな老人のその後のむごさを感じるでしょう。
それが面白いのかもしれませんが…。

死霊を演じながら、女御だけではなく、鳴らない鼓を、仕組んだ取り巻きや、身分の違いを生みだす社会を恨めばよかったのに…とも思いました。

女御の立場を明瞭にしないで、最後まで救われない老人と女御を描く喜多流の『綾鼓』ですが、時代を越え、広く深く、多くのことを語りかけいるのかもしれません。それに応える楽しみもあります。
庭掃きの老人の執心が、私の老いを演じる意識と作品の本音を探ることに刺激を与えてくれたことは確かでした。

                      (平成22年9月 記)

写真 『綾鼓』 シテ 粟谷明生 撮影 石田 裕

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