友枝昭世の会『求塚』の地謡を勤めて ー 間語りから見えた男達の思い ー


『求塚』は地謡がよくなくては成立しない!
 と言われています。

「優れた演能には地謡がシテの演技を支える上で最も大切なの、
その充実を課題としたい」
と『求塚』を選曲し、友枝昭世氏にシテをお願いして地頭を粟谷能夫、私も微力ながらその隣で謡う会を試みたのは、粟谷能の会・第三回研究公演(平成5年5月)でした。

あれからもう15年が経ちました。
今回、友枝昭世の会の『求塚』(平成20年5月)で地謡を勤め終え、新たな発見がありましたのでここに書き留めます。

装束のこと、ツレのこと、いろいろな発見がありましたが、今回、一番気になったのは間語りです。地謡座で間語りをつぶさに聞いて、私のこれまでのいくつかの疑問が解けてきました。
間語りは、研究公演では野村万作氏、今回は山本東次郎氏がなさいました。

『求塚』の間語りは通常は菟名日処女(うないおとめ)が生田川に身を投げ、それを知った二人の男、小竹田男(ささだおのこ)と血沼益荒男(ちぬのますらお)が塚の前で刺し違え果てるところで終わります。

しかし近年はその後も語るのが普通の形式となって、かなり長い間語りとなります。
その後の語りの概要を先日の山本東次郎氏の語りを元にご紹介します。

「刺し違えた男の親達は嘆き、菟名日処女の塚の両隣に塚を作 り葬りました。
このとき小竹田男の親は刀を一緒に葬りました。あるとき旅人が求塚の前を通ると、ひとりの男が現れ、刀を貸してくれと頼むので、旅人は刀を貸すと、男は喜び消えていきます。
しばらくすると血まみれになった先ほどの男が現れ礼を言うと、また消えてしまいます。夜が明け男の塚を見ると血のついた刀が置いてありました」

このように終わります。

能の作品を読み込むとき、シテ方の私は流儀の謡本だけに頼りすぎる傾向がありました。
狂言方の間語りには本筋が述べられているので、曲の主軸をしっかり捉えるためには、間語りも把握しておいたほうがよいようです。

手元に研究公演の野村万作氏と今回の山本東次郎氏の資料があります。
双方を比べ、私のわからなかった謎解きをしながら、また後日に山本東次郎先生に伺ったお話を添えて、『求塚』の訴えたいものを探し出したいと思います。

まず喜多流の謡本では解読出来ないところ、私が気になったところをいくつか挙げ、その答えを間語りの中から見つけ、あらすじの裏打ちをしたいと思います。

謎1;二人の男はどこの人か?
山本家の間語りは小竹田男が摂津国、血沼益荒男は和泉国の者との紹介から始まります。

謎2;鴛鴦を撃って決着する提案は、菟名日処女が考えたことか?
喜多流の謡本には女の考えで鴛鴦を射止めた方に靡くとありますが、間語りでは女が両親に相談し親の指示であったと語ります。

謎3;菟名日処女の死骸を取り上げたのは誰か?
喜多流の謡本はまったく触れませんが、間語りでは、女の両親が嘆き取り上げ葬ります。

謎4;女はなぜ入水自殺をしてしまったのか?
間語りでは、恋路の判断のために鴛鴦を殺してしまった罪悪感と語りますが、私はそれ以上の何かがあったと思えてなりません。

謎5;女の入水で、なぜ二人の男が刺し違えなければいけないのか?
間語りでは、女が死んでは仕方がないと、両者落胆して命を落としますが、
これも謎4と同様、裏があるように思えます。

謎6;血沼益荒男の塚に刀が埋葬されなかった理由は?
和泉流の語りには、血沼益荒男の親は愚かなため刀を入れなかった、とあります。
以上のことから私の推察を書いてみたいと思います。

二人の男が一人の女に同時に恋をして、女は判断に耐えられず自殺する、実らぬ恋に男達も嘆き後を追い、命を落とす。
一見単純なラブロマンス・純愛物の作りに見えますが、実は裏側に大きな大人の力が働き、男女それぞれの運命を変えてしまったのではないでしょうか。
シテが「同じ日の同じ時に、わりなき思いの玉章を送る」と謡い、間語りでも二つの恋文が書き方までまったく同じと苦笑するかのように聞こえたところがあります。

同じ日、同じ時、同じ文面、何もかもが同じというのはどう考えてもおかしい、絶対裏があるはずと、疑いたくなります。
たとえ恋文にひな形らしきものがあったとしても、そこに個人の感情が溢れていないのは周りが作為したとしか思えません。この恋文も悲劇の隠し味になっていると思います。

では、この「裏」とは何でしょう?

それはこの恋が個人的な思いだけではない、家や村という組織をあげての女の獲得であり、そこに両者の駆け引きがあったと思われます。

仮説を立てると、菟名日処女には特別な力があって、たとえば霊力のようなものです。
それ欲しさに地元の小竹田男と隣国の血沼益荒男に任命が下だり、両者は女を手に入れるための道具となった・・・。
万が一、女を相手に取られたらば、家だけではすまない、村や地域という組織の存亡にもかかわる一大事となる。ですから男たちは是が非でも女と契りを結ぼうと必死になるのです。
個人的な「あの娘がかわいくて・・・」のような感情だけではない、男達に背負わされた重い責務があったのではないかと想像してしまいます。

しかし男達やその背後の努力も空しく、もくろみとは裏腹に結果は大事な女の死、という最悪な事態となります。そして、女の死は男達にとっても終わりを告げます。家に戻りこの結果をどのように報告、説明すればいいのか、そんな重圧が二人にのしかかります。
「もう家には戻れない」「行き先がない、死ぬしかない」と二人の男は追い詰められ、刺し違えて死ぬ、という哀れな結末となるのです。
これを、恋しい女に死なれ後を追う美談として、オブラートで包み覆っているのが、能『求塚』ではないでしょうか。

そして、菟名日処女と同国の小竹田男の両親は塚に刀を葬ります。�の血沼益荒男の塚には刀の埋葬がなかったのは、和泉流では「親が愚かのため」と露骨に語りますが、山本家の語りではそのような話は入りません。本当に親が愚かであったのでしょうか?

私は隣国の者がそう易々とその土地に入り得ない交通事情、部族のしきたりなどもあって弔えない状況、様々なものが遮って邪魔をしたのではないかと推察します。
それは小竹田男の男と血沼益荒男の名前からも想像出来ます。血沼益荒男は荒くれ者の感じで、侵入者のイメージです。
侵入者の血沼益荒男にとって、地獄に堕ちても、地元の小竹田男から永遠の責め苦をうけることになります。なんとも救いがたい恐ろしい世界です。

益荒男は一時、刀を貸してもらい反逆に出ますが、彼らは輪廻の如く地獄に堕ち続け、侵入者血沼益荒男は責め続けられるのです。そこに救いがまったくないのが男の私としては寂しくもあり、気になるところです。

そして『求塚』の最大のテーマ「そんなことまで私の科なのでしょうか」と女は旅僧に救いを求め回向を頼みます。

能の稽古をうけシテを経験し、実際の舞台で作品に触れると、一人の女が政治的に使われたことの哀れさが肌に伝わってくるようです。どうにかして救ってあげたい気持ちになります。

曲の最後に、地獄の有様を見せて暗闇となると、菟名日処女は火宅の栖を尋ね、求めて、塚の草の陰に消えます。
静かに『求塚』は終曲しますが、成仏できた、とは謡いません。
なんとも悲しい話ですが、私はこの悲劇を三役も含め役者全員が力を振り絞って演じ囃すことで、菟名日処女をひとときでも成仏させるのだ、と念じ謡いたいのです。
最後の「火炎も消えて」は強く謡い、次の「暗闇となりぬれば」で気持ちを変え、調子も変化させたい、むずかしい謡どころです。

友枝氏は
「昔はキリの謡の調子が高くて。張りすぎ、つっちゃってね。?暗闇となりぬれば?はもう転調せずにはいられない程で、自然と転調してしまう、それで演っていたんだよ。しかし、今それがいいかと言うとちょっと疑問だね?。あそこまで張るのがいいとは思えないからね?」
と話されました。
ここの謡い方については私の今後の課題となっています。

後シテの装束について、伝書には次のようにあります。
「後痩女・箔・腰巻・腰帯の上に水衣肩上げ」
「色大口袴・白練坪折ニテモ」
先人たちは水衣・色大口袴が多く、父も伯父の写真も水衣・大口袴ばかりです。
しかし、近年は色大口・白練坪折が主流と変わりました。
今、喪服は黒色ですが、日本はずいぶん長い間白色が主流でした。
昔は喪服といわず浄衣(じょうえ)と言い、清潔な着物を着せて死者を送ろうとし、純白こそ一番死者を送るのにふさわしい色だと考えていました。
『求塚』や『砧』など浄衣の姿を意識すれば、箔も白練も白色の着用が適当です。
今回も前回も、友枝氏はすべて白色を選択されたことは理に適っていて私は大いに賛成するところです。



引廻が下ろされ、後シテが現れた姿を見たときは、死者と言うよ
りも美しく輝きを発散する、凛とした女性、あの世からのメッセンジャーのように私の目には映りました。
救いのない『求塚』ですが、浄衣の姿で描き、地謡も役者もすべてが全力で弔う舞台になったのではないかと思っています。

痩女物の代表曲は春の『求塚』、秋は『砧』です。
壮絶な死を扱うのは『求塚』です。
私は『求塚』はまだ披いていないので、『求塚』への熱い恋心が覚めないうちに是非とも早く勤めたいものです。

今回の語りについて、後日、山本東次郎氏にお話を伺いましたのでご紹介します。

明生 「先日の『求塚』の語りは面白かったですが、あれは新たに横道萬里雄氏が創られたものですか?」

東次郎「いえ、違います。大蔵の分家、八右衛門家にあるものを当家が伝承しています。以前、寿夫先生が『求塚』を演られるときに、全部語る間を御存知で御所望されたので、やるはずでした。残念ながら寿夫先生が亡くなられましてそれは果たせずにいました。
その後、静夫先生(故観世銕之亟)のときに私が勤めました。
ですから、新作ではありません」

明生 「血沼益荒男の刀について、親が愚かだから一緒に埋めなかったとか、長年の怨み思い知れ!みたいなことを血沼益荒男が言うのは語られましたか?」

東次郎「いいえ、それはないです」

明生 「和泉流だけですね。この間語りを山本家では、東次郎先生しかやれないというのは本当ですか?」
 
東次郎「みんな長いから、やりたがらないだけですよ(笑い)。実は先代まではやっていなかったのですよ。私は今の時代ならばもういいかな、と思いやっております」

明生 「どうしてやらなかったのでしょうか?」

東次郎「たぶん、生々しくドギツイ語りが能に合わないと控えたと思います」

明生 「なるほど・・・。お聞きしてそんな風には感じませんでした。私は適度な壮絶感が気に入りました。お忙しいところすいません、有難うございました。」

下記に2つの公演の配役を記します。

(研究公演の配役)
シテ  友枝昭世
ツレ  内田安信・塩津哲生
ワキ  宝生 閑
アイ  野村万作
笛   一噌仙幸
小鼓  北村 治
大鼓  柿原崇志
地頭  粟谷能夫
副地頭 出雲康雅

(友枝昭世の会の配役)
シテ  友枝昭世
ツレ  内田成信・大島輝久
ワキ  宝生 閑
アイ  山本東次郎
笛   一噌仙幸
小鼓  鵜澤洋太郎
大鼓  柿原崇志
地頭  香川靖嗣
副地頭 粟谷能夫

写真
カラー 『求塚』シテ 粟谷菊生 
大槻自主公演 撮影 濱口工房

モノクロ 『求塚』シテ 粟谷菊生
喜多別会 撮影 宮地啓二

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