多賀城周辺と塩釜、松島の旅

平成17年5月5日、前日の仙台みちのく明生会の稽古の翌日は仙台近郊の謡蹟めぐりに行ってきました。
仙石線、あおば通り駅より多賀城駅下車、『烏頭』に謡われる、「末の松山」「沖の石」を探訪し、午後に予定されていた松島の島巡りまで時間の余裕があったので、「多賀城政庁址」まで足を伸ばしてみました。

多賀城駅に一度戻り、再度仙石線に乗車、松島海岸駅にて下車し、「雄島」を散策し塩釜港行きの遊覧連絡船を利用して、点在する島々を眺めながら「塩釜神社」を目指しました。

塩釜神社は丁度、特別天然記念樹「塩釜桜」が満開で絶好の時期で、最後に御釜神社に参拝して、管理人の御婆様に実際に御釜を見せて頂き、説明していただきました。午後2時に一応予定されたものはすべて廻れたので、いよいよメインイベント待望の塩釜といえば寿司のとおり、寿司屋を一軒決めて打ち上げの一杯となりました。

今回の同行者はみちのく明生会の小島 誠氏と泉田成美氏(この方は男性)と男ばかり3人という色気のない旅でしたが、男性のお弟子さんと和気あいあいと旅するのも、またそれなりにいいもので、楽しく勉強になる謡蹟めぐりとなりました。お二人のご協力には感謝しております。
では写真でご紹介いたします。

末の松山
多賀城駅から徒歩8分ぐらいに寶国寺があり、その裏山に「末の松山」はあります。二本の大木の松があるこのあたりまで、昔は海だったようで、『烏頭』「末の松山風荒れて袖に浪越す沖の石」や『砧』「末の松山千代までとかけし頼みは徒波の」と謡われています。
沖の石
末の松山から下ると沖の石があります。海の中にあった奇岩も現在は住宅街の中にぽつんとあり、情緒はまったく感じられません。
多賀城址
『田村』の坂上田村麿が東夷を平定するための根拠地が多賀城です。
左に見える覆堂は壺碑(つぼのいしぶみ)で城の位置を記載した古碑です。
政庁址
日本三大史跡は太宰府と平城宮と多賀城政庁です、今年(平成17年)は9月に太宰府で薪能があり一年で三ケ所を見られることになります
雄島
瑞巌寺の修行僧が座禅をした島として有名です
卒都婆
雄島に渡る手前の岸壁には卒都婆の形に掘られた洞窟がある。
籬が島
塩釜港の手前には「籬が島」があります。小さなお社がありますが、写真では見辛いですが、融の大臣はこの塩釜の風景を真似して、京の都で汐を焼いて遊んだのですから、なんともスケールの大きさを感じます。
男坂入り口
塩釜神社には男坂、女坂があり、男坂は急坂で上るのが大変です。私たちは女坂を車で上ってしまい、楽が出来ましたが帰りはこの急坂をおりることにしました。
塩釜神社
ここの枝垂れ桜が終わる頃、塩釜桜の見頃となります。
男坂
下に見える鳥居をご覧いただくときつい勾配が御判りになると思います。
狛犬
「東北地方は狛犬のお顔が違うでしょ」の泉田さんの説明に、「なるほど!」と思い、パチリ!!
塩釜桜
丁度満開な八重桜の塩釜ザクラ
融が岡
源融がここに来たと言う「融が岡」。京の都からココまで道中大変だったと思いますが、どうも実際は来ていないようです。
御釜神社
鳥居の左には融の大臣が都で塩を焼いた竃の原形とされる大鉄釜が保存されている。
御釜
中は撮影禁止。4つの御釜があり底の浅いのが1つ、あとは深いらしいです。実際に海水が入っていますが、木の葉が落ちていて赤茶色に濁って見えたのは残念でしたが、本当は透き通るように見えますと、管理人の説明でした。
現在使用する釜
一年に一度、御神事としてここで藻塩を焼き塩釜神社に献上する
しらはた寿司の裏
打ち上げ場所のしらはた寿司は魚市場の裏になり、新鮮な魚が安く豊富にありました。