『女郎花』にみる男の一途

喜多流自主公演(平成13年11月25日)で『女郎花』を勤めました。女郎花で思い出すのは、中学生のころ漢字の読み方テストで女郎花が出たときに、得意になって「おみなめし」と書いて、しっかり×をもらったことです。「先生、お能ではおみなめしと読むのですが・・・」と言ったところ、 先生は「お能はそうかもしれないけれど、読み方はおみなえしですよ」と教えてくださったのですが、×には違いなく、がっかりしたことを覚えています。

お能では「おみなめし」と読みますので、お間違いのないようにして下さい。
女郎花=おみなめしは、おみな=女、めし=召しで、女が身を投げる前に着ていた(召していた)衣を土中に埋めたところ、その衣が朽ちて花が咲き出たため、その花を女郎花と言うようになったということのようです。
女郎花は秋の七草の一つで、茎は細長く、その先がいくつかに分かれ、黄色い可憐な花をつけます。曲の中では、この女郎花、頼風が近寄ると「怨みたる気色」でくねり、離れると「もとの如し」でシャキッとします。男の私の感覚では、頼風が近づけば嬉しくて元気になり、離れると寂しくて萎れてしまうと思うのですが、本当の女心とは近寄るとすねる、この花のようでいいのと、女性から教えられました。「くねる」は風に吹かれてたわむのほか、すねる、怨むという意味がありますから、この女郎花の怨みの深さ、頼風にすねてみせる女のかわいらしさが見え、普通とは違う風情になるのでしょう。
能『女郎花』は、このような女郎花の花のイメージを一曲の中に通しながら、女郎花にまつわる古歌の論争、石清水八幡宮への信仰に、舞台の多くを費やし、そして中入り直前にようやく、男塚、女塚を紹介して、男と女の悲しい恋の結末へと物語を進めています。
それだけに、男と女が共に身を投げ、成仏できずに邪婬の責め苦があるといいながらも、さほど深刻にならず、この曲のありどころを不明瞭にしています。戯曲の組み立てそのものが手ぬるいといえるかもしれません。

後シテの装束を見ても、戦陣の物語ではないのですが、平家の公達のような格好をしています。喜多流は長絹の肩脱ぎ姿で、面は中将です。「肩脱ぎ」は舞を舞うときや修羅や邪婬に苦しめられている風情を表すときに使いますが、今回はもちろん後者の意味です。しかしこの美しい公達姿、邪婬の悪鬼が身を責めてというには、余りにもスマートです。観世流では単衣狩衣を着るぐらいですから、頼風という男、身分も高く上品なイメージなのでしょう。『通盛』も後場、夫婦で登場するのは似ていますが、シテは梨打烏帽子に太刀をつけての修羅の業に苦しむ公達武者の定型パターンがあって、その苦しむ様がそれなりに想像できますし、『船橋』も、二人の仲を反対する親が、橋の板間を外して橋を渡る男を殺し、女もまた急に消えた男を捜しながら共に川に落ちて死んでしまうという悲劇的な内容で、怨みは強く、かける面も怪士系の恐ろしい顔ですから、川に沈んだ苦しさを表現しやすいのですが、『女郎花』の二人の場合は、これら二曲に比べ、人格描写が曖昧で緩いように思え、地獄に落ちて苦しむ様を表現するのが難しいところです。
流儀の本には「情けは深けれど執拗ならず、哀切なれど酷烈ならず」と述べていますし、怨念や執心に焦点を当てるよりは、女郎花に寄せる美しい詩情を表せばよい、これもお能の趣きであるというようなことがよく言われます。しかし、もう少し人物像をくっきり描いてもよいのではないかというのが、稽古してみて、私が第一に感じたことでした。
そこで、この曲の男と女はどのような人物かを考えてみたいと思います。頼風は訴訟のために都に上り、都の女と契りを結びます。訴訟が終わって帰るとき、後で必ず迎えを差し向けるからと約束しますが、何の便りもありません。そこで女は八幡の男の家までやってきますが、家の者は、主人は山上していないと邪険な扱いです。女はさては男の心変わりか、裏切られたと感じ、このまま京にも戻れないと絶望し、放生川に身を投げてしまいます。讒言のみで怨みを助長し、あっけなく自殺してしまう胸狭き女で、六条御息所のような積極的な嫉妬の情とも違う弱き心ではないかともとれますが一方で、自らを空しくすることで、頼風の心の中に永遠に生き続けるのだという特異な強さを持っている女であるともとれます。
男の方はどうかというと、本妻がありながら、都の女と契るのは浮気男であるともとれますが、当時、本妻の他に通う女がいるのはごく普通のことで、身分の高い人であったと思われる頼風には、それほど非難されることではなかったはずです。都の女が誤解して自殺したと聞いて、泣く泣く死骸を土中に埋めて弔います。ここまでは普通ですが、そこから咲き出た女郎花がくねる姿を見て、女のあわれを思い、自らも身を投げるのですから、浮気男というよりは純粋で一途さを持った男のように私は思ってしまいます。本妻ではない女郎花の女に結構惚れてもいたのでしょう。女が身を投げた後も非常に嘆いて、この女が死んだのは、家族の讒言によると責任転嫁せず、自分のせいであると自らを責める誠実さも持ち合わせています。

そして、頼風は、共に地獄に落ちて邪婬の悪鬼の責め苦を受ける覚悟で、身を投げます。この当たりは、女の一途と男の一途がかみ合わずに不幸な結末となったとも、昇華された純愛ともとれるのです。
このような人物像が見えてくると、このお能の居所も少し鮮明になってくるのではないでしょうか。しかし、舞台を一度見ただけでは、そこまで読み取れないところに、この戯曲の弱さがあるのだろうと思います。
そして、この男と女の物語があいまいに感じられるのは、前場の女郎花による歌争いや、石清水八幡宮の神が宿る霊地を大観する趣きに力が込められていることにもよると思われます。男塚、女塚の話を期待している人にとっては前半は中だるみし退屈なものかもしれません。しかし歌争いの中身を知って聞いてみると、前シテの尉の茶化し心が面白く感じられると思います。
ワキの僧が女郎花を手折ろうとすると、花守だと名乗るシテの尉が現れ、菅原の神木にも「折らで手向けよ」とあるとか、古き歌にも「折りつればたぶさに穢る(けがる)立てながら三世の仏に花奉る」と言って、手折ることを押し止めようとします。そうすると僧も負けていないで、僧正遍昭の歌の上の句「名に愛でて折れるばかりぞ女郎花」を引き、女郎花という名にひかれて折っただけだと反論します。シテの尉は、その下の句は「我落ちにきと人に語るな」とあるではないかと言って、女郎花を折ったために自分は落馬してしまった(深く忍んでいる女と契り、草の枕を並べてしまった)ことを語るなと言っている、だからその歌を引くのは出家の身としては誤りと反論し、この歌争いに勝利します。それでも最後には古歌の故事由来を知っているから、それに免じて一本折らせてやろうなどと言うのですから、この尉もなかなか茶化し心がある面白いおじいさんなわけです。歌争いの部分はそういう面白さを感じながら謡えというのが心得です。
歌争いの後には、石清水八幡宮を大観する場面が続きます。全体の物語からすると、中だるみの要素となる部分ですが、謡としてはとてもよいものがあって、落とすわけにはいかないところです。「鳩の峯越し来て見れば三千世界もよそならず・・・」の当たりは、男山の頂上に立ってあたかも三千世界が見えるかのように謡い上げ、謡愛好家には、ゾクゾクと体が震えると評判が良いところです。お能にはこのように、物語を追うだけでない醍醐味があるといえるでしょう。
そして中入り前にようやく頼風と女の物語に入っていきます。後場は曲(クセ)などの仕舞どころがあって、テンポよく進んでいきます。仕舞どころはよい型があるため、仕舞や舞囃子でよく舞われ、親しまれています。私自身も物語がわからない中学生のころから、何回も稽古し、舞台を勤めてきました。

曲も終盤。「あら閻浮、恋しや」と謡った後にカケリとなり「邪婬の悪鬼が身を責めて」と大ノリとなって盛り上がります。しかしここは『八島』や『田村』などの軍体もののそれとは違って「カケリがあまり激しくならないように」というのが諸先輩からの教えです。『女郎花』は花の情趣に寄せてあまり激烈にならないという全体の色合いがあるからだと思われますが、私は激烈にならないからといって、ただおとなしく舞えばよいというものではない、頼風の一途を表現するためにも、カケリはカケリらしく、やや激しさをもってキリリと引き結んだ演技があっていいのではないかと思います。戦物語の主人公とは違うとはいえ、地獄の責め苦にあえいでいる場面は度外視できません。
笛の森田流の伝書には、この部分「責めなり」とあります。責めの意識で吹けということでしょう。「あら閻浮、恋しや」と、昔の人間世界を思い出す表現もあるかもしれませんが、「邪婬の悪鬼は身を責めて」への導入部分としてのカケリともとれるのです。森田流の伝書にあるように、邪婬の責めや苦しみが表現されなければいけないのなら、それなりの強さが必要で「カケリは激しくならない」とするのは後シテの装束の優雅さにひかれた、形を優先させたものだと思うのです。やはりある強さが心に入っていないといけないのですが、実際には、それを表現する度合いが難しいように感じました。
カケリは荒くなくという通り一遍の教えを鵜呑みにするのではなく、今回私は少々荒くて良いのだ、そうせずにはいられないのだという思いで舞いました。伝承されていることを鵜呑にするだけでは何も生まれない、自分なりに、なぜそうするのかという考えを持って演じることが大事で、その考えに従って演じてみて、それがどうだったかを検証する姿勢が必要ではないでしょうか。
最後に、観世会の演能のしおりに、観世芳宏氏が『女郎花』について面白いことを書いておられましたので、ご紹介します。
「女の濃厚過ぎる愛情は、恨みにまで進展してしまうことがある。愛し愛される事は罪ではないが、男がいったん外にでれば色々なつき合いがある。それを理解しないで勝手に恨むから地獄行きとなるのである。巻き添えを食って地獄に落ちた男はやりきれない。」
『女郎花』は純愛ラブロマンス、当時の聴衆もこんなのないよというぐらいの過度の純愛が、また逆に面白かったのかもしれないと思いつつ、現代でも、およそ考えられない純愛物が、妙に受けることがあるかもしれないと感じながら、私は『女郎花』で男の一途さを演じたつもりですが、私自身の現実は、「男がいったん外にでれば色々なつき合いがある」という観世芳宏氏の一文に共感するところ大で、「ちょっとしたことで誤解しないでくれよ・・・」というのが本音かな・・・というところです。

(平成13年12月 記)
能 女郎花 前  粟谷明生         撮影 伊藤英孝
面 中将 満志作   粟谷家蔵       撮影 粟谷明生
能 女郎花 後  粟谷明生         撮影 伊藤英孝
女郎花とリンドウは新城の加藤佳子氏のお庭にて撮影    撮影 加藤佳子

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