一期一会の舞台となった『鞍馬天狗』白頭

粟谷 明生  春の粟谷能の会(3月4日)のトメ(一日の最後の曲目)『鞍馬天狗』白頭は、父菊生が左足の不自由を押しながらも重厚な山伏、大天狗姿を見せてくれ、息子尚生も子方(沙那王)として、祖父の力演に元気に応じ、緊張感のあるよい舞台になったのでは…と思っています。

シテが菊生78歳、子方が尚生10歳、地頭が能夫51歳、後見の私が45歳、この4人が四角形のやぐらのようにガップリ組んでできたことが、私達のこの上ない喜びです。

子方は、幼稚園から小学1~2年生頃迄がまだ身体も小さく、舞台に立つと本当に幼気でかわいらしく、よい時期なのですが、反面身体の小ささの為か、喉はまだ完全に出来上がってなく、体力も充分とはいえないので、声の調子や張りにやや不足するところがあるのは仕方がありません。

尚生は小学4年生、子方として今が一番充実しているときです。大きな張りのある高い声でその充実期を通過することは貴重で不可欠なことですが、それは夏鳴く蝉の様にその命は短いものです。あと何年かで、子方独特の高い澄んだ声が出なくなるのは間違いなく、身体の成長と共に表舞台からは遠のく時期が来るのです。

父もまたこれから傘寿を迎えますが、今回ほどの底力ある演技がどのくらい続いてくれるか‥‥、そう考えると、今回の舞台はまさに一期一会、舞台役者の花を見るようで、感慨深いものがありました。

『鞍馬天狗』のシテと子方は親子より、祖父と孫の関係ぐらいの方が、案外冷静にことを運べるようです。後方の後見座から二人を見ていると、役としての距離をおきながらも決して遊離するでもなく、互いの間にしっかりとした緊張の糸を張っているようで、能『鞍馬天狗』を演じる空気が漂っていると感じました。ご覧頂いた皆様にも十分に楽しめる舞台になっていたものと確信しています。

同じ舞台にいて、父の長刀の使い方や謡の間の取り方などを目の当たりにすると、やはり貫禄があり勉強になります、私自身いつか真似して、盗んでみせると思う一方で、尚生も本物にふれ、舞台での各演者のエネルギーを心やからだに感じ取ってくれたのではと思いました。

父の舞台は、身体が楽々と自由に動いていた10年前と今では明らかにその動きに違いが生じていますが、足の痛み、梗塞による左側の不自由と動きがままならない部分を巧く舞台技術で補い、再びこの曲を舞うことがないのではという思いが込められ演じるところに、花咲くものであったのでしょう。孫との共演はもとより、将来の喜多流を担う大勢の「花見」(牛若丸を先頭に花見に行く平清盛の稚児たち)を従え、華やいだ気持ちの充実も後押しとなったことは間違いありません。

当日楽屋で、父は珍しく、花見の子供たちをみんな集めて、写真撮影をしていました。楽屋は小さい子供たちでにぎやか。「楽屋が子供たちでうるさいぐらいでないと、流儀は栄えない」と上機嫌で、大勢の子供たちに笑顔を振りまいている父の姿が印象的でした。

私の初舞台の花見の時は、近い年齢の子供がいなくて何人かの先輩の方々にご迷惑をお掛けしたようです。父がシテ、子方が能夫、花見は谷大作さん、佐藤喜雄さん(佐藤章雄氏の弟)が並んでくださいましたが、谷さんに後日談を聞くと「こんな大きなからだで花見に出されて本当は恥ずかしくていやだったんだよ」と苦笑されていました。どうも人数不足で無理矢理駆り出されていたようです。

当時、「大法輪」という雑誌に「子役」と題して、そのときの写真が掲載されましたが、良い記念として今でも残っています。そのときの花見の稚児が四十代半ばになり、その子供が今、子方を勤めて写真に納まっている、時の流れの早さを感じさせられます。

今回の申合せ(リハーサル)で、花見の子供達に長袴をはかせていると、ふと自分の花見の時のことが思い出されます。先輩たちが私の稽古時間に合わせて集まって一緒に稽古を受けてくれたこと、父が長袴姿の私に、こうやって出て行き、ここに座り、こうやって帰る、そして大事なことが一つ、絶対前の人の長袴を踏んではいけないよと教えてくれたことなど。今でもあの時の事は鮮明に思い出せるのです。 ですから、花見の子供達には当日の装束をつけて動きも実際にやらせてみる、本番の顔ぶれで共に舞台に立たせるなどして、本番に向けての緊張感や仲間意識を高めてやる必要があると感じます。これで、能舞台にあがるという特別な気持ちが子供達の心に刻み込まれるのではないか。こういうことが能楽師としての出発点であってほしいと思うのです。

舞台を勤め終わったあとも、父は舞台に立てた喜びが大きかったようです。夜、電話で尚生が父にその日の舞台のお礼と「もう一回、キクオチャマとやりたいなあー」と感想を言うと父が「これからもよろしくお願いします」と神妙に応じ、すかさず尚生が「こちらこそ」と答えたというので大笑いになったとか。こんなこともよい思い出になりそうです。(平成13年4月 記)
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写真説明

1.鞍馬天狗 前シテ 粟谷菊生 撮影 東條睦

2.鞍馬天狗 後子方 粟谷尚生 撮影 あびこ写真

3.鞍馬天狗 子方と花見 手前より 粟谷尚生 谷友矩 高林昌司 狩野祐一  友枝雄太郎 撮影 東條睦

4.鏡の間にて 左より 狩野祐一 友枝雄太郎 粟谷尚生 谷友矩 粟谷菊生 高林昌司 金子龍晟(今回出演せず)

5.「大法輪」 左より 粟谷菊生 谷大作 粟谷能夫 粟谷明生 佐藤喜雄

6.稽古 左より 粟谷菊生 粟谷明生 佐藤喜雄 佐藤章雄 粟谷能夫