『歌占』の難解さにひたる

能が長い年月の風雪に耐え、今に伝えられているのは、能に関わる多くの人達の努力によって、ある様式美が確立されてきたからに他なりません。

しかし今、様式がしっかり決まっているがために、逆に演者はその中でただ、形さえ演じれば足りると考えがちです。今回(平成十二年五月自主公演)の『歌占』という曲は、その様式美に頼るだけでは、観る人が理解するのに限界があるのではと感じるものでした。難解な言葉の群、そこに込められた宗教観や死生観。当時の人はわかって楽しめたものも、現代人の日常生活や常識、教養からはかけ離れ、私自身も理解に苦しむ作品内容です。演ずる者が作品を深く知る、このあたりまえの事、これが『歌占』に取り組む始めとなりました。

『歌占』は歌による占い、地獄の曲舞、神懸かりの狂乱場面の三段構成で、そこに親子の邂逅をうまく入れて作られています。今回は個人的に全体のあらすじと、一番難解な「金土の初爻を尋ぬるに」以下の占いの段の現代語訳を作り当日配布しました。現代語訳を出すについては賛否両論あるでしょうが、あえて観る人の理解を助けることを優先しました。占いの段現代語訳  少年の引いた歌

占いの段で「金土の初爻を尋ぬるに」の「金土の初爻」は観世流では「今度の所労」という漢字が当てられ「今度の病気を占うと」ほどの意味ですが、喜多流の「金土」は“金剛に覆われた聖なる国”とか“須弥山の世界”の意で「初爻」は占いの初めを意味し、「西方金剛界におられる諸仏にお目通りを願って、占いの第一からいいますと」というような、巫の常套句ではないかと考えられます。

雄大な宇宙観のもとに占いを始めるという、武士好みの凝った言葉の選択には、喜多流の真髄が現れているようです。

そしてワキが引いた歌の下の句「西紅にそめいろの山」のそめいろは須弥山の別名「蘇迷廬」のことで、転じて「蘇命路」、命が蘇るとよみ解き、病は回復に向かうと占います。

須弥山は古代インドの世界観から登場し、仏教の宇宙観にでてくる世界の中心に立つ山。その雄大な宇宙観、世界観を述べながら、男(ワキ)の父親の病について占うという趣向です。須弥山について現代人は殆ど無知ですが、秀吉の時代、太閤の前にて家臣が須弥山という言葉を使って、歌の雄大さを競ったという逸話が残っており、*(須弥山の歌争い)このことからも、中世から江戸ぐらいまでの武士や知識人には須弥山などの教養は備わっていたもののようです。このように歌占いに込められている意味や深さがわかってくると、興味は尽きないものになります。

次の地獄の曲舞の段や神懸かりの段はこの曲の山場で、シテとしても大事な型の連続で、見せ所です。*(『歌占』にみる地獄の様)『歌占』の作者、観世十郎元雅は地獄の様を見せることで、人生や生き様、死を考えさせようとしたのではないでしょうか。男巫(シテ)は一度頓死し、三日後に蘇るという臨死体験をしているという設定ですから、地獄の有様の舞は正に真に迫ったものになったでしょう。

元雅は『隅田川』『盛久』『弱法師』など、死や生き様を題材にした作品が多く、父世阿弥とはいくらか趣きの違う世界を作り出しています。元雅にとって「一生とは」「死とは」が一つの大きなテーマだったに違いありません。
ここでシテ渡會の某について、渡會家といえば、伊勢の神職にある由緒正しき血筋のはずです。その一族の一人が、家族も捨て、神職もなげうって、遊芸(歌占い)を生業にして放浪の旅に出るというのは、言語道断のことで、神からのお叱りを受けるのは当然のことだったはずです。

にもかかわらず、渡會の某は、伊勢の神が唯一の神なのか、自分の人生はこれで良いのかと苦悶し、広く世界を見て考えたいと、放浪の旅に出たのではないでしょうか。そして旅の途中、神罰に当たり頓死して地獄を体験させられ、三日のうちに生き返って、再びこの世の生を与えられます。しかし私は、この段階での彼は未だ死の淵にいる、つまり自分のこれからの生き方を掴んでいないように思えるのです。

蘇生という大変な体験をしながらも、未だ伊勢への帰還をためらっているように見えます。それが我が子との邂逅によって、この子ともう一度伊勢で生きてみようと、心に決めたのではないでしょうか。

地獄の曲舞が主題の『歌占』に子供との邂逅を入れたのは、地獄の恐ろしさを見せつけられた観客に、心がふっとなごむ場面を作って精神のバランスをとるとともに、渡會の某の再会後の生き方を決定づける重要な仕掛けにするためだったのではないか–。父子邂逅の場は筋立ての為の単なる付け足しで、それ故『歌占』は主題がやや散漫になり失敗作ではという人がいます。

しかし、この場は、親子掛け合いでの舞台の盛り上がり、役者自身の真実性ある演技が必要とされ、舞台に立つ人も観客も興奮するような場面をつくらなければならないと、教えられてきました。私は自分で演じてこの場の重要性を肌で感じ、これが付け足しであろうはずがないと思いました。

元雅は無駄なものを一切削ぎ落とし、見事に一曲を構成していたのです。一見、無駄に見える親子邂逅も、実は渡會の某の心の動きに焦点を当てた時に不可欠で、作者が予め巧みに仕組んだものであったのです。
人生への惑いと悟り、現代人にとっても永遠のテーマがここに盛り込まれ、今観る人の心を突き刺していくようです。

今回『歌占』を深く理解しようとする中で、渡會の某という役を演じることから、彼の中に自分自身を投影し、己を表現するという事が意識できたのは、一つの嬉しい体験です。サシ謡以降の「一生は唯夢の如し、・・・」はまぎれもなく、今自分の心のうちにあるものです。この作品は壮大な宇宙論に思いを馳せながら、生き様や死をじっくり考える時が、自分にも間近に迫っていることを教えてくれているようでした。

2000/6/20 記

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