『羽衣』の「霞留」演出で発見したこと


“>平成十年の「粟谷能の会」では、三月に父が.十月に私が『羽衣』を舞うことになりました。三月の『羽衣』は父の病の関係で『西行桜』を急遽変更したものです。一年に能の会で同じ演目が出るのは好ましいことではありませんが、私の方も、すでに三役の方にお願いしておりましたので、予定通り行なおうという事になりました.私は当初から「霞留」という小書(特別演出)でやってみようと思っていましたが、父が舞った数カ月後ですから、父の「舞込」と私の「霞留」の演出ではどういうところが違うのかを整理して、私なりの特徴を出してみたいと考えました。

 霞留の特徴でまずわかりやすいのが、松の作り物が出ないということです。能では一般に天人が降り立つ目印となる松を象徴するように一本の松の作り物が置かれます。ところが霞留では橋掛りの一の松が作り物の代わりをして、羽衣は橋掛りの欄干に置かれ、羽衣を返してほしいという白龍とのやりとりは、天人が橋掛りに留まったまま(この部分は舞込も同じ)行われる演出です。これは天人と白龍との距離を保ち、空間的な広がりをつくる効果があると思われます。その後羽衣を返してもらうと、舞込では天人がすぐに衣を着てしまいますが、わが家の伝書の霞留では「乙女は衣を取り返し」という言葉が入るようになっていて、情景描写がていねいになされます。

 白龍に所望されて舞う序の舞の笛の調子は、舞込では黄鐘なのに対して、霞留では盤渉という高い音色に変わります。また、舞込では序の舞の後に、興に乗じてあるいは名残惜しみの意味合いの破の舞という短い舞がありますが、霞留ではそれを省略し、序の舞の後、すぐにキリの仕舞所になり、地上の人間界に七つの宝を降らすという意味の扇をおとす型が入ります。

 そして、舞込と霞留の一番の大きな違いといえるものは、退場の仕方だと思います。舞込では「霞にまぎれて 失せにけり」と地謡が高い調子で大合唱する中、シテ(天人)は白龍や三保の松原、愛鷹山、富士山をゆっくり見渡し、下界に未練があるような、もう少しとどまっていたいような風情を感じさせながらも、くるくると回転しながら月の世界に戻っていくように幕の内に入っていきます。一方、霞留では「残り留め」といって「霞にまぎれて」で地謡は言葉をやめ、「失せにけり」を謡わず、後は囃子方だけが演奏して余韻を楽しむような演出となっています。シテは愛鷹山を見たり、富士山を見たりと、ある程度は舞込に似た所作で舞っていますが、最後には月世界からのお達しがあった様子で、袖を翻し後を振り返りもせず、雲に乗っているかのような感じで、幕に向かってすーっと消えていきます。この辺の帰り方によって、天人の気持ちの違いが表現されるのではないでしょうか。

 羽衣伝説は日本全国はもとより、世界的にも多くの地域で形を変え伝えられている伝説です。能の『羽衣』は「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」というセリフがあることからも、駿河の国の風土記を素材にしたものだと言われています。多くの羽衣伝説が天人と男が夫婦になり、地上に暮らして子供までもうける話になっているのに対して、能の『羽衣』の天人はその場で羽衣を返してもらい、下界の男と交わることはありません。白龍が羽衣を隠そうとしても、天人の前ではそれができず、天の崇高さを美しく表現しています。男と女の話ではなく形而上的で上品な物語にしたところが能らしいところで、『羽衣』が名曲として今も親しまれているゆえんではないでしょうか。

 霞留は崇高さを際立たせる演出であるように思います。私は天人をかわいい乙女というよりは、もう少し高位で、神に近い存在として描きたいと思いました。天人というと思い浮かぶのが、宇治にある平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像の飛天光背に描かれている五十二体の雲中供養菩薩。楽器を奏でる天人、ちょっと太ったかわいい天人、そこに描かれている様々な天人像を思い起こしながら、霞留の演出による『羽衣』の天人像は阿弥陀如来のそばに居る、最も神に近い天人像ではないかと想像をめぐらせてみました。

 このように、天人を崇高なものとしてとらえると、白龍との距離をとって対するところ、笛の高い調子、扇を施すところ、きっぱりとした退場の仕方など、霞留演出のいくつかの特徴に一貫性があることに気づかされます。

 装束や面についても考えてみました。『羽衣』では長絹を着て小面をつけるのが喜多流の特徴で、父も緋の長絹、かわいい小面で舞いました。私は白い「舞衣」という装束に、面もあえて神聖さが出る「増」にしてみました。長絹はふわっと軽やかできれいな姿になりますが、「舞衣」はやや硬い感じでありながら、なまめかしい女性のラインが出ることが今回使ってみてわかりおもしろく感じました。白にこだわったのは、曲の中に「白衣黒衣の天人の・・・」という言葉がありますが、シテの天人はあくまでも「白衣の天人」で天上界に近いイメージにしたかったからです。

 最後に一つ、今回解明できずに研究課題になったことがあります。普通、シテは頭の上に月日輪(丸い銀紙に半月をつけたようなもの)をつけますが、現在喜多流では小書がつくと「牡丹の花をいただく」ようにします。小書になるとなぜ牡丹なのか、天人と牡丹は関係があるのだろうか。私は今回牡丹をやめて、宗教的な意味合いも含んでいる白蓮華にしてみました。他流でも鳳凰や白蓮華にしているところがありますが、鳳凰の方は、「挿頭の花もしをしをと」という天人五衰(天人の五種の衰相)の一つ、花がしおれる描写がありますので、適当ではないと考えました。しかしこれはまだ研究の余地があると思っています。

 今回「霞留」演出で、父と少し違った『羽衣』を求める中で、多くの発見があり、能の奥深さを改めて感じさせられました。

参考資料 雲中供養菩薩(平等院発行)

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